ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代号を以て水防兼務となる。明治四十一年十二月二十日第一部より第現一O部に至る役員有志を督励、新式テレ1キ水及咽筒を新調、其他近器具を改修せらる。明治四十四年十二月中有志等の寄付、村費の補V助に依り六五円を以て、役場前に火見梯子を設置せり。大正五年十一一月二十三日、第一部より第一O部迄、紀律訓練優秀により金馬簾一条の使用認可せらる。大正九年十一月二十五日、第一部より第一O部迄、大正六年以降八回の火災消防に従事し、組員一致協力能く其延焼を防止したる功労顕著により、金馬簾一条授与せらる。大正十二年二月二十四日水災警防に尽力し、功労抜群の放を以て(第三部を除く)各部に対し金馬簾一条授与せらる。大正十三年十一月二十五日、第三部に対し火災予防上功労顕著なるを認めらる、町て金馬簾一条を授与せらる。大正十四年二月三日、消防用の貯水池設置其他機械器具の改善を図りて其功労顕著なるの故を以て、金馬簾一条を授与せらる。大正十四年十一月一目、火災防禦の功労顕著なるの故を以て、第一部より第六部に対し、金馬簾一条授与さる。昭和二年二月二日、大正十三年九月十五日より同二十二日まで、強盗窃盗詐欺犯逮捕に尽力功労顕著なるものと認め感状を授与せらる。昭和二年二月十日、紀律厳粛にして訓練亦熟達せるに依り、第一O部に対し、金馬簾一条を授与せらる。昭和四年十一月十一日施行せられたる陸軍特別大演習並に地方行幸に際し火災警防に尽力したるにより、知事牛島省三より感謝状を授与さる(昭和五年『茨城消防発達史料』)。[潮来町消防組沿革]〈第一部〉明治二十七年県令第十五号に基き明治二十七年組織したるも成規の服装なく、器具の設備も不完全なりしため自然規律乱れ、何れか有名無実の姿となり、同三十九年中組織変更の議熟し、申請の結果、同年十二月六日県令第五十四号を以506て、第一部より第一二部に設置せり。第一部の定員四O名、総員三七O名の編成なりしが、越て同四十年六月二十四日水防兼務を命ぜられ、同年九月に渉り水火警防に従事し、大いに人員の不足を感じ、再び申請の結果、同年十二月六日県令第七十号を以て部数を一三部に新設し、総人員五OO名を以て編成し、第一部も部長一名、小頭四名、消防手五O名、総人員六O名を以て現今の編成を見るに至れり〈第二部〉明治二十七年県令第十五号に基き同二十七年中組織したるも成規の服装なく、器具の設備も不完全にして自然規律乱れ、何時しか有名無実の姿となり、同三十九年中組変更の議熟し、申請の結果、同三十九年十二月三十日県令第五十四号を以て組織変更、第一部より第一二部に設置し、第二部の定員四O名、同四十年六月二十四日水防兼務を命ぜられ、周年八月より九月に渉り大洪水に際し実地の活動をしたる結果、大いに人員の不足を感じ、再び増員に申請し、同四十年十二月六日県令第七十号を以て増員五O名に変更す。第二部長一名、小頭三名、消防手五O名、総人員五四名となるを以て現今の編成するに至れり〈第三部〉前部と同断、設立委員二二名なりしか四十年六月二十四日水防兼務となる。同年八月より九月に渉る大洪水に際し実地に活動せし結果、大いに人員の不足を感じ、再び申請の結果、同四十年十二月六日県令第十て十二号を以て第一部より一二部に変更、総人員五OO名に増員。部長一名、小頭二名、消防手二六名、総人員二九名を以て現今の編成を見るに至れり。第四部、第五部、第六部、第七部、第八部、第九部、第一O部、第一一部、同断。明治四十五年三月二十二日、警察部長問中直道より、第一部より第九部迄に、規律厳粛にして訓練亦熟達す、のて金馬簾