ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

まくいかず、部下にも離反されたためついにこの計画を見すて失綜してしまう。この隊長の失践に驚いて大井らが大阪に集って協議中の十一月下旬、官憲に急襲され、同士山二二O余名はことごとく逮捕された。F}の事件は、圏内での民主主義革命のための運動を放棄し、朝鮮を利用してロシアと清国を戦わせようとする謀略を夢想していたという意味で、自由民権運動の本筋からは、ずれた行動であったともいえ、また「東アジアをまきこむスケール'の大きな陰謀事件によって、民権と国権が激しい相魁を遂げ、民権から国権へ人民の関心の転換を促した」(色川大吉『自由民権』)事件であった。大井らの逮捕後連座拘引された磯山は、有罪判決を受けて服役したが、明治二十二年(一八八九)の大日本帝国憲法発布の大赦により出獄した。郷里に帰ったあとも「致誉紛々たる中でも常に国事を忘れずに新荘前掲書)政治に興味を示した磯山であったが、明治二十四年十一月二十一日、四O歳で病死している。墓は潮来町三丁目石塔場にあり、明治四十四年九月梅田馨撰文の墓銘がある。また、下館市妙西寺の加波山事件関係者墓群の正面にも「故磯山清兵衛君之墓」があり、明治三十二年五月朝比奈智泉撰文の頒徳碑銘が刻まれている。新しい時代の幕開け第l章519