ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代現近第四節地租改正と農民V明治維新の諸改革のうちでも、地租改正は、次節で壬申地券の交付述べられる秩禄処分とともに旧封建領主による土地所有を解体させ、さらに成立聞もない維新政権の財政的基盤を確立するための重要な改革であったばかりでなく、当時人口の大多数を占めていた農民と、深くかかわっていた。一般には地租改正は、明治六年(一八七三)の地租改正条令とそれにかかわる諸々の「地租改正法」の公布を起点とすることが多い。しかしそれに先立って明治五年壬申の年に「人民土地所有ノ権ヲ輩固ごする目的で発行された地券、世上いわれる壬申地券が、地租改正とかかわりが深いので、壬申地券の交付から検討をはじめたい。廃藩置県(明治四年七月)以後、明治政府は、封建的諸制限を撤廃する布告を相次いで発している。それらのうちには、明治四年の耕作者が耕地でいかなる作物を耕作することを認めた「田畑勝手作」の許可、翌年、土地の売買を禁じた地所永代売買禁止の解禁などのように、土地にかかわる重要な布告もふくまれている。右のうちとくに寛永二十年(一六四三)以来つづいた地所永代売買禁止の解禁をうけて、「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」一四か条を定め売買あるいは譲渡の土地に対し地券を交付することにしていた。}の規則は公布の年、明治五年中に五回も増補、改正、更正がくり返され、最終的に四Oか条にもなる大部の規別である。)の年に出た大蔵省布達では、地所の売買をした者にのみ地券を発行するのは不都合であるから「管下人民地所々持ノ者へ:::都テ地券ヲ付与」することとして、地価520は、旧幕時代に支配的であった田畑における上、中、下などの位付けを無視し、適当の代価を地券の券面に記載しておくように指示している。さらに地券は「至急ヲ要シ総テ当十月中三完了するよう要請している。布達は七月に出ているのあり、三か月で地券発行を完了するなど、問題にもならなかったはずである。地券渡方規則は、旧茨城県(明治四年十一月に成立し、八年五月七日、新治県と合併するまでの茨城県を便宜上このように呼ぶことにする。念のため付け加えれば、第一節でみたとおり、行方郡は新治県に属していた)においても、新治県においても各県独自の規則が定められていた。旧茨城県においては、大蔵省の布達が出されて間もない明治五年八月にまず一Oか条が発せられ、九月に一七か条が追加されている。新治県では、「壬申十一月廿日」の日付の「地券渡方規則」が『茨城県史料近代政治社会編I』に収録されている。その全二ニか条を吟味してみると、追加された分ではないかと思える。規則の前文に「先般地所売買其外譲渡地券渡方等之儀相触置候処」とあり、「規則」の本体は別に存在するとみたほうがよさそうである。追加された分と思われる新治県の「地券渡方規則」にも、旧茨城県の「茨城県地券規則」にも共通していることは、大蔵省の規則と同様に、地券発行の実務についての規則が大半を占めていることである。ここで比較的明快な規定をもっ「茨城県地券条例」により、地券の性格を要約すれば、つぎのようになる。地券は申請により交付する。地券は土地所有者である確証だから大切に所持すること、紛失した際は、二人以上の証人とともに村役人が連署し、書替を願い