ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代検地抜きで、古い検地帳に依拠して、土地の面積および所有者を確定現するという机上の計画は、実行不能に近かった。中央で地租改正の衝に近当っていた租税寮改正局の日報第四七号に、地租改正条令公布直後の明V治六年九月八日付の「新治県伺大意」が収めてある。「大意」ではあるが、長文である。今般地租改正法御布告相成就テハ右ニ照準夫々調査可致者必然ニテ素ヨリ不容易事件一一付昨年来各地々券渡方手続及ヒ地引絵図之調査方今如何様之運成居候哉委細現今之姿一応可申立其上地租改正着手緩急順序各県適宜之目的有之ニ付前以是文御承知被成度旨等御達之趣致承知候当管下常総村々之儀ハ過半旧幕旗下小給所分郷村ニテ旧来検地帳無之適宜之名寄帳等ヲ以貢租高掛割賦罷在候故地券御発行以来旧簿帳穿撃実地-一照準日夜苦勉取調罷候得共総計八万町歩余之大場故追々成功延期ニ至漸即今地引絵図地引帳等取調出来調査済之分券状書載中ニ在之然ルニ兼テ御規則之趣ヲ旧簿帳ヲ踏為取調候故陰ニ地之広狭伸縮有之三百万筆余之地価当否検査ニ焦慮罷在候折柄今般被仰出候実地歩数改方ヲ始収穫米為書出候御旨趣一一テハ前条之通陰ニ地之広狭無之随テ真価ヲ得候間速ニ右御趣意管下村々へ布達及説諭是迄之調方ヲ以悉皆地券状相渡再ヒ改正反別裏書等取計候テハ二重之手数-一付直ニ御改正之廉ニ取調方申渡候義-一御座候尤数万町歩之儀ニ付此際成功期限申立兼候間尚日夜勉強大略見込相立候ハ、其節可申立候此段申進候旨長い引用ではあるが、要するに期限内に地券の発行はできないといっているのである。新治県管下には、新治、筑波、信太、河内、行方、鹿島の常陸国六郡、匝瑳、香取、海上の下総国三郡がふくまれる。その村むらは旧幕時代には旗本の小給地がひしめき、一村が何人もで支配されるものが多かった。それらの村では、昔から検地帳がなく、名寄帳など522で便宜的に貢租が賦課されていた。したがって地券発行が指示されて以来、旧い簿冊の吟味に日に夜をついで当っている。しかし新治県は八万町歩、三OO万筆の「大場」であり、地価当否検査に焦慮しているが、数万町歩については、いつ終るか申立てることができないといっている。町域の近世村は水戸藩、麻生藩の支配地が多く、地券交付にさいして右の伺のいう不容易の事件にはならなかったであろう。しかし、壬申地券発行にさいしては、もう一つの困難が付随した。地価の算出がそれである。明治五年七月四日「大蔵省第八十三号達」には、「尤其〈人民地所〉代価ハ田畑ノ位付-一拘ラス、方今適当ノ代価ヲ開申セシメ」とあり、「目下のところは」と断りながらも、上田、中畑などの位付は無視して適当な土地の代価を申告してもよかったはずである。明治五年二月二十四日「大蔵省第二十五号達」の「地券渡方規則」では、地券本紙と副紙が示され、「本紙ハ地主へ与へ副紙ハ元帳へ加綴スへシ」とある。地券には耕地について、田畑の地種、収穫高と地代金、つまり地価が記入されることになっていた。旧茨城県でも、新治県でも、以後人民所持地を政府が買上げるさいには、地券の代価をもって買上げ価格が決定されると、それぞれの地券渡方規則に明記されている。「方今」とはいえ、適当の代価を記入して済む問題ではなかったはずである。しかし、以前の検地帳とは異なり、田畑の称を廃し、石高も廃し、土地一般の反別(面積)だけを用いるように定められた(明治五年九月「地券渡方規則」追加)この時期に、地券から地代金が欠落するのは、認められることではなかった。そもそも「地券渡方規則」が意図したところは、土地の売買、譲渡に対して地券を発行することであった。譲渡は措いても、売買のさいには