ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代右によれば、収穫量と利率が定まらなければ、地価は算出できない。現利率については、当初から「自作地ハ七分利、小作地ハ五分利ヲ以テ其近極度」とするよう上限が定められていた。茨城県でも最終的に自作地でVは六分となった。ただし「沿川の水害移多ニシテ、随時多費ヲ要スル部分ハ、僅ニ一回酌ヲ」加えたといわれる(同前)。こうして、地価の決定的形成要因は、収穫量の決定となった。旧来、収穫量は、毎年貢租を取立てる領主とそれを納入する農民とのせめぎ合いによって決定されてきた。一般に検見とよばれたのがこれである。の収穫量を作柄の豊凶に関係なく固定するのは、容易なことではなかった。明治九年七月二十六日、地租改正事務局決判になる「茨城県地位等級及ヒ収穫地価調査順序」が制定される。この「順序」は、地価調査の型の一つの典型といわれるほど著名である。それによれば、丈量調査|等級決定|収穫調査の順に進められる。したがって、丈量調査と収穫調査の間で土地の等級を決定することになる。等級については、県内の国(常陸国とか下総国)の等位、圏内の郡の等位、郡内の区(大区小区制の小区)の等位、最後に区内の村の等位を決定していく。}れらは、地租改正の衝に当っている区長、郡村総代、あるいは地主総代らの投票によって決まる。つぎに小区内の各村の地位を比較し、区位郡位|国位と逆にさかのぼる。相互権衡、つまり横のバランスについても適否を吟味するのである。地位等級は右の手続きを経て決定される。茨城県の地位等級調査順序の決判をうけ、さらに県では同年十月三日「地位等級調査心得書」を布達する。}れは各村一筆ごとの地位等級を確定するのを目的としたものである。まず小区の組合(模範地組合といわれた)を設ける。一組合は二Oか村内外とし、そのうちの適宜の一村を模範地H模範村とする。模範村は小区の正副区長、郡村総代、小区総代の投票によって選ばれるが、最終的には官の承認により確定されると528い沿っ。模範村の一筆ごとの等級は、他村の地位とは関係なく、地位の優劣、収穫の多寡をもって決定されるのはもちろんであるが、そのさい運輸の便否、耕転の難易も考慮に入れるべきといわれた。等級は九等以内とし、各等級において、米麦とも収穫量一斗五升の等差をつけることとしている。ある模範地の一等地の反当収量が二石であれば、二等地は一石八斗そ五升となり、九等地は八斗となる。模範地の等級が決定した後に、組合村内の一等地を模範村内の等級と比定する作業に入り、組合村の一等地の級位を確定し、その後に組合村各村のすべてご}で官の検査を受け、の耕地の地位等級は確定する。「地租改正事務局別報第百四拾四号」には、明治十一年八月三日付の「茨城県伺」が載せられている(『明治初年地租改正基礎資料下』)。伺の大要は、地租改正事業が竣工したので、旧税法を廃止し、新税法を施行してよいかどうかといおっことにある。その一節には、「全管ノ等級略整頓ノ折柄、客年〈明治十年〉九月中各府県官御局合同ノ際、本県ノ反額御決議ニ付、全管田畑宅地ヲ類別シ、郡村位ヲ編成、区長及ヒ郡村小区総代-一諮詞、公儀ノ帰スル処ヲ以テ、該郡村ノ反額ヲ予定シ」とあり、反当地価は、予め中央に於て決定されていたのである。区戸長および郡村、小区総代の投票によって地価を決定するというのは、人民参加の擬制にすぎなかった。地租改正反対一撲を制圧して一年半を経れば、多少の障害があっても改租事業はっきすすむ。伺はこの過程をつづけていう。等級精査精撰ニ着手セシニ、各調査ノ方轡一定ナルヲ以、基精撰数月ヲ経ス公平面一ノ調理ヲ得、人民等柳不平ナキヲ断言シ、爾来収穫地価調査-一至リ、予テ経伺セシ改租用米麦相庭ヲ示セシニ、事モ