ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代再三再四引用する『潮来町沿革史』は、「抑々二重谷の如きは特殊の現歴史を有し、二百余年間、不分割の共有地として永続したるものにして、近学者の研究の資たることを疑わず、左に各自の論旨及び利益を詳記してV他日の参考に供しぬ」と、上記三説を文字どおり詳説している。その著者の説くところに副って、われわれは吟味する義務があろう。以下に三説を要約しておこう。土地を分割して個人所有とする説は、共同体所有の足かせが、収穫量の逓減を招いたという。二重谷の耕作は棄て作同然である。これを田取人七一一名全員が「培養の切を尽く」せば一割区で一俵ずっ、七四O俵の増収は確実であり、真実田面を愛護すれば、二千俵以上もの増収になるはずである。二重谷が共有地であるために、全村民は二千俵の損害をうけているという。さらに、三年毎の割換えがあるため、耕地の中にある堀敷という水溜りがあるが、七百余中誰一人として埋立てて耕作す}〉乙32、t、。ξヰモカL4臼Lこれを耕地にすれば、三O町以上になり一五OO俵余の収穫を得られるばかりか、田面も平坦になり、地価も倍になるはずであるともいう。付近の町村で共有地のない所では、堀敷のような溜池がないという一事をみても共有の弊害はあきらかであろう。以上は生産面の不利益である。共有地制そのものに対する批判がつづく。分家に対する新規の割渡しが行き詰ったことはさきに述ぺた。そればかりでなく、「条例」では田取人が二重谷の耕地を所持することになっているが、実体はそうでなく、耕作権は三か年を限度としているが、内々に永久売買をしている者が多い。それ故に貧民は田を耕作できないで、ただ地租などの義務だけを課されている。「現在の方法は表面回取人を保護するが如くにして、其の実は非常に苦しましむる器」であるという。さらに批判はつづく。堤防あるいは洪水に対す防禦は、田取人の責任においてなされることになっているが、稲苗一株すら持たぬ田取人がいては、とて536もかなえ得ることではない。対岸の新島領では、各自が堤防を愛護するために、水害の被害を免れること本村の比ではない。}れも共有制の不可の理由の一つである。そして最後に「潮来村の人民は、郷里に於て赤貧生活に甘んじ、断然郷里を去って他郷に至り立身せんとするもの少なし、是れ彼の二重谷を無上の宝物と為せばなり、約言すれば此村は貧民の巣窟と称すも可なり、村内の股盛ならざるは貧民多きに起因す」と手厳しい。旧幕時代以来連綿として続いて来た共同体規制が、維新後一O年を経て、その成員の足手まといになってきたことは理解できる。しかし、立論には、やや無理があるようにみえる。第二の地券を村持名義に戻す説は、二重谷を分割して自由に売買を認めれば、赤貧者は数年で一すの地も所有できなくなるのは明らかであるという。もともと、先祖が非常な労苦を払って得た土地であり、我々が代金を支払って買い入れたものではないのに、なぜ今先祖の志に違背し、土地を失うのか、「潮来村は、十六島その他諸村を雌伏して常に其の下風に立たしむものは、共有地あるが為め、団結の堅固にして、腕力に富めばなり」と、十六島には気の毒ではあるが、村民が快哉を叫んだであろうような論障を張っていた。第三の田取人限定説は、新規分家取立のために年を追って割渡される耕地は狭くなり、」のままでは、糊口を全うすることもできなくなるとL、L、この際回取人を限定し、将来は新規加入を一切許可しないような法を設けるよう提案している。一一一つの説では最も現状肯定型である。三様の説が入り乱れ、当事者間で解決することはできず、明治二十年に県知事安固定則が調停に乗り出し、旧慣例に従った方向で解決を図った。明治二十年三月十八日に制定されたコ打方郡潮来村二重谷組規約」