ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

ものは、稀であったろう。弘農社は、奇妙なことに、発足当初社長が欠員であった。社長選挙の結果は、さきにみた額賀厚十と坂嘉也とが同数であった。坂嘉也(弘化一一1明治四十五)は牛堀出身で「醤油醸造業。弘農社創設に参加し、桑圏、牧畜の開発に尽した。郡書記、県会議員等を歴任」(『茨城県農業史第五巻』)といわれる。ここで坂は行方郡書記に就いていたため、社長に就任できず、他方額賀は「副社長は引受けてもよいが、社長はその任ではないと強く断つた」という(『玉造町史』)。したがって、社長を欠員とし、副社長に額賀と前述の関沢高功が就任した。社の下部組織について、「規則」はつぎのように規定している。第六条本社維持の為め株主総代廿二名を置き以て株主に係る諸般の事務を弁理せしむ之を称して開墾委員とす亦た其中三名の委員長脚島大を置き事務を総括せしむ則ち其方法左の如し一全郡を区画して廿二小部とし柳川一服議↓綿一鋪凶一小部毎に委員一名を置く全部を合せて三大部と為し一大部毎に大部長一名を置く其大小部の区画村名ハ附録に掲く新しい時代の幕開け但委員ハ一小部毎に一名つLを公選し委員長即ち三大部長ハ各委員中に於て手駄一話村委員の公選を以て選定するを法とすE此委員ハ当分戸長へ依頼するも妨けなしとす第七条一小部毎に株主世話役二名を置き委員を補助して事務を整頓す但世話役の任免ハ其部中の公選とす第1章全行方郡人民総がかりで営む事業であるから、組織の末端は近世村落である。それをいくつか統合した行政区画上の連合村を小部とし、全行方郡で二二となる。小部には公選の委員一名が株主世話役二名とともに置かれるが、株主総代日開墾委員も二二名であり、委員と関連をもっのであろう。小部の上部に三つの大部がある。大部長一名を置くが、大部長は小部の委員の委員長でもあり、委員の公選によって選定される。附第一大部録に示された小部区画とはどのようなものか第第部第部第四部第五部第六部第七部第八部第二大部第九部第十部第十一部第十二部第十三部第十四部第十五部第三大部第十六部第十七部部谷島浜八木蒔玉、ft1巴手賀行方小高麻生清水永山上戸潮来辻築地延方水原矢幡四鹿新宮芹沢出沼橋於門下粗毛茂木牛堀島崎大洲釜谷石神杉平天掛つぎに引用する。若海捻木羽生沖洲井上藤井舟子荒宿一五丁田井貝南島並堀之内富田赤須大生大賀根小屋青沼字崎蔵)1白浜岡龍田551牧板峰