ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現第五十五条求て器械を破損するか如きは弁償を命することあるへし終業時間の鳴鐘を聞くときは各自の器械を掃除し器械近場に至り其組の伍長に納むるものとすV但伍長は終業の鳴鐘を聞けは直ちに器械場に至り各自の器械掛第五十六条りへ納むるものとす雨天或は耕作の業閑隙なるときは余業を為すものとす第五十七条耕夫病気にして三日以上休業する時は医師をして診断せしむるものとす就業時聞は午前第八時より午後第五時迄とす第五十八条但時宜に依り時聞を伸縮することあるへし耕地を借らんと欲する者は保証人連署の小作証文を出第五十九条すへし第六十条さる地面を貸渡すへし耕地は=pに付壱反歩より少なからす五町歩より多からとす但貸渡の年限は五ヶ年以下とし該年毎に小作証文を改むるもの第六十一条貸地小作料ハ一反歩を標準とし元開墾費額の弐割を以て小作金を徴収城内制時期一J件叩遇措紅即はすす第六十二条貸地は桑茶桐椿等の諸木を植ゆることを得へしと難と第六十三条も委く社長の許可を乞ふへし貸地ハ本社耕転の都合に依る故に借受者の自由に定むるを得す第六十四条むる者とす小作金は毎年六月中に半金を納め十一月に後半金を納右のようにこの章は、第四十六条から第五十八条までを弘農社の直営地経営について規定し、第五十九条から第六十四条までを小作地につい558て規定している。直営地については、第四十六条および第四十七条にあるとおり、耕地五町以下を一区、一O区以下を一舎とする。一舎の最大耕地は五O町である。生産活動の単位は舎であり、}こには農舎、牛馬耕農具など、ぁ-よそ農地以外の生産手段が整っている。第四十九条以下は農場H舎で働く耕夫の服務規定である。火と血の文字で人類の歴史に刻みこまれたといわれる資本の原始蓄積が強行された当時のわが国において、昼休みを一時間とったものとすれば、実働八時間余はゆるやかな勤務形態といわなければならない。小作地は、一戸一町から五町までの区画を貸すとある。小作料は金納で開発費の二割であり、小作年限は五年であるから一期の貸渡しで開墾費の元本は戻ることになる。例示された反当六O銭が高額か安価かは、にわかに断定できない。当時現物小作料が圧倒的に多く、明治十八年の「茨城県小作慣行調査書」によれば(『茨城県農業史第二巻』)、「小農ハ金納ヲ厭ヒ、遂ニ怠納スル者多シ」といわれている。商品生産の未熟な段階では、小作農にとって現金は無縁であったろう。さらに作付けられる作目が、桑、茶、桐、楕では、大規模経営といえど、収益をあげるのはむずかしかったとみられる。明治十六年の『茨城県勧業年報第三回』によれば、事業の実績について、「本年ハ社員専ラ先ツ基礎ヲ固クスルニ意ヲ傾ケタ」ので、成果に特筆すべきことがないという。しかしながら、一部作付けをしたらしく、作柄は結実期に数回の烈風に遭遇したうえに、肥料が不充分で、収量は減少しているともいっている。ただ「農具ハ在来ノ器ヲ用ユ」とあり、貸与された泰西農具の出番はなかったらしい。