ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代現口四三四、る。大洲村は、同時期の史料「地理取調書上」によれば、戸数六五、人田畑反別七七町八反六畝六歩とあり、前項の釜谷村と同程度近の規模の村落であった。しかし耕地について「其質不宜」とある。「物V米穀類産取調」はつぎのように読める。醸造類園競類種子類米上二百石問中四百六十五石同下三百三十五石大麦上六十石中二十二石八斗麦上四石四斗中六石大豆上十五石中十石旦三石五斗内}土旦七石大角豆二斗四斤清酒中八十石下五十石味H曾二千百貫目芋七十俵菜羅葡金千二百五十円H二千七百三十五円廿九銭四厘H千八百六十一円十一銭一厘金二百四十円同八十一円四十二銭九厘同十一円五十七銭九厘同十四円廿八銭六厘同五十円同三十一円廿五銭同十四円五十八銭三厘同廿八円同九円六十銭同六百四十円同三百四十七円廿二銭二厘同二百九十一円六十六銭六厘同三十五円同十七円五十銭菜子二十一石金七十五円566禽獣類鶏三百五十羽同三十五円os六千五百六十同廿二円六十八銭染具類藍二千百〆同三百五十円右の史料をさきの明治三年の釜谷村の取調と比較してみると、やや趣を異にしている。明治七年の物産取調を指示した内務省の布達にあるように、米、大麦、小麦、大豆、清酒の五品目については、その「凡例緒言」どおり、上、中、(下)に分けて記載されている。また、各品目についてみれば、明治三年釜谷村の書上では、他国輸出のみ金額が示され、他は収量を示すにとどまっているのに対し、大洲村では全品目が金額表一不されている。ただし単価は示されていないので、調査としては完結していない。史料に掲げられた品目は、清酒、藍を除けば、釜谷村とほぼ似たような自給用作目で占められている。清酒については、一三O石を得ているが、他に移出されたものであろう。念のためいっておけば、後に再びみる釜谷村の物産においても清酒八O石、七二八円五五銭二厘が生産されている。問題は藍である。大洲村において藍が生産されていたことは確実であり、さきに引いた「地理取調書上」によれば年平均一六OO貫くらいの収量をあげていた。藍を染料にするためには、藍玉を作らなければならず、そのためには高度な技術を要するといわれる。とすれば、ここでなぜ二一OO貰、三五O円分もの藍が生産されるようになったのか、明らかにすることはできなかった。なお、「地理取調書上」には、「農隙ニハ