ブックタイトル潮来町史

ページ
583/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている583ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

第l章新しい時代の幕開け第V-15表明治10年行方郡の農産物作付面積収量単価価額実額構成比町石円円%米3381.7403 43597.347 4.508 196536.840 50.3精米457.0622 5004.693 4.733 23687.211 6.1大麦1 257.7211 6 626.159 3.360 22263.894 5.7麦378.3901 1439.352 2.771 3988.444 1.0粟205.1519 759.184 2.103 1596.564 0.4黍0.8300 8.000 2.000 16.000稗125.5300 487.850 1.117 544.928 0.1大旦863.5423 2896.387 4.241 12283.577 3.1蕎麦51.0612 212.570 2.393 508.680 0.1萄黍1.35185.4001.6258.775斤玉萄黍0.681013210.200264.200甘藷114.7327 663360 0.090 57702.400 15.3実綿82422 0.050 4 121.100 1.1生糸4 2.800 11.200藍葉11250 0.016 18.000製茶8520.205174.660石菜種607.2825.1433123.251 0.8斤乾蝦668150.2516703.7504.3乾魚87000 0.52 45240.000 11.6390793.484勧JJ:l局「明治十年全国農産表全J(明治12年2月刊.r日本段業発達史』第10巻117ページ)による代為初ば、郡内総額三九万円余に比ぺてあまりにも小額であり、取る571物産表にみられたあの藍のはずである。産額ということでいえ藍葉一万一二五O斤、一八円也に遭遇する。明治七年の大洲村は、斤表示に由来する誤認であろうと思われる。そしてここで、った特長を認めることはできない。甘藷の産額が異常に高いの第V日表における麦、雑穀の産高については、とくに際立一ヤリ(言方)トスル位ヲ良トスニ乾燥スルヲ良トスレトモ種ニ用フルハ之レニ反シ噛ミテヲ作者稀ナリ食料米ハ籾ヲ噛ミテカチ(方言)ト音ノスル位晩稲ハ収穫ノ多キヲ知ルト難トモ水雁ノ二患アルヲ以テ之るという。収穫の多さは、}の両害のために犠牲にされる。さらに、潮来村では、水害と雁の食害のため、晩稲は嫌われともいっている。ルトキハ忽チ不良品ニ化ス故-一年々彼ノ地-一一種子ヲ仰クナリ」位上等ニシテ収穫モ亦多ク尤モ良種ナリ去レトモ之レヲ連年作六年度相州馬入川近傍ノ種ヲ取寄セ試作セシモノアリシカ其品、・:、ud4}0種子は未熟が良いともいう。水抜きをする。一枚の田が広ければ、さらに中央に十字形に溝を掘ると障害苗が稲にに作もる発稲現はす種る子のにで用あいろなういかと。は宮ど本うはい別うのこ個と所でであ、ろ「う我か地。方連明作治の低湿であれば、回の水を乾すために、田の周囲を刈取り、溝を掘って不良ナリトテ種-一選ハス手数ヲ省ケハナリニ早刈ヲ為ス是己ムヲ得サルニ出ツルナリ亦苗代一一作レルモノハ先其刈ル所ノモノヲ用ユルハ未熟ヲ良トスルト殊更-一早刈ヲスルノ雁来ル為ニ害ヲ受ル少カラス且ツ水害アル地ナレハ両害ヲ免ル、表面ヲ乾スナリ又田面広キハ中央十字形ノ小溝ヲモ通スナリ市シテ稲穂ノ先キ曲垂スル(方一百ツ一チヨガマカルト言フ)前ニ刈取ル其比ハヲ乾ス為メ周囲ニ於テ五六尺幅計リ刈取リ跡-一小溝ヲ掘リ水ヲ抜キられたという。宮本の述べる所をきいてみる。種ハタナ刈セシ稲ヨリ取ル(タナガリ或ハ江刈)タナガリトハ田ノ水では、水害と渡ってきた雁の食害を防ぐためにやむなく早刈り法が用いを選んでいる。大場はこの地方独自であろう江刈りの法を披露している。未熟ということであれば、潮来村でも状況は同じである。しかしここ