ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近第八節新しい教育制度V明治政府は新しい教育制度を発足させるため、明治学制の公布と新治県の教育政策四年(一八七一)七月に文部省を設置し、各国の教育制度の調査研究及び新しい教育制度の立案に取り組んだ。約一年間の活動の後、明治五年八月二日に太政官布告第一二四号として学制が公布された。政府は、}の太政官布告において新しい教育の精神を述べ国民皆学の必要性を強調したが、最後に「右之通被仰出候条地方官ニ於テ辺隅小民一一至ル迄不洩様便宜解釈ヲ加へ精細申諭文部省規則ニ随ヒ学問普及致候様方法ヲ設可施行事」という文言があるところから、一般には「学事奨励ニ関スル被仰出書」または「被仰出書」といわれている。太政官布告の公布を受けて文部省は、八月三日に文部省布達第十三号により、従来の藩校などを一旦廃止し、学制の趣旨に沿い、改めて学校を設立するよう通達した。また閉じ日に、文部省布達第ト四号により学制の確定を布達し、別冊として学制布告書(学事奨励ニ関スル被仰出書)と学制章程(学制本文)を府県へ頒布する旨を示した。学制に述べられている教育の精神は、従来一般的であった儒教的な学間観や教育観を乗り越えた新しいものであった。人聞がそれぞれ持っている能力を充分に発揮し、幸福な人生を送っていく基礎になるものが学問であり、学校を設ける理由は、まさに人々の幸福を増進させる学聞を授ける点にあるとした。学問の目的は、国家や藩のためではなく、人間個々人の幸福を追求する所にあり、学問の内容は実用的なものであるぺきことが強調された。また、身分や性別に関係なく、すべての人聞が就582学することが重要なこととされた。「必ず邑に不学の戸なく家に不学のなからしめん事を期す」という文言は、国民皆学の精神を端的に示すものであった。学制の制定過程においてはヨーロッパ流の啓蒙思想を修めた洋学者たちと、国家主義的側面を強調する儒学者たちの争いがあったが、結局は文明開化の波に乗る洋学者たちの力が強く作用した学校制度が作られることになったのである。}のことは、「学事奨励-一関スル被仰出書」が、福沢諭吉の『学問ノス、メ』とほとんど同じ精神で貰かれていることからも明白である。学制の制度面においては、まず全国を八つの大学区、二五六の中学区、五万三七六Oの小学区に分け、それぞれの学区に一つずつ大学、中学校、小学校を設置することとされた。満六歳になると、全員が小学校へ就学することと規定された。小学校は、下等小学が四年と上等小学四年の合計八年が学齢であった。下等小学及び上等小学は、それぞれ八級から一級まであり、試験により昇級していく制度であった。教育行政面では、大学区ごとに大学本部を設けて督学局を設け、中学区には学区取締を置いて、教育行政及び就学督励、学校設立に当ることとされた。また、学校の設立や運営に関しては、基本的には受益者である住民の負担であるとされ、授業料を徴収することと規定された。学制が公布された後、各県では学制の精神に基づいて教育政策を展開していくことになった。」こでは、学制公布当時に潮来地方が属していた新治県の教育政策について、みておきたい。潮来地方は学制により、第一大学区に含まれており、新治県内では第二十八番中学区から第三十一番中学区までの四つの中学区が設置された。