ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代現近Vして、明治八年に私立小学校である秀野学舎を開設した。また、かって584延方郷校の教授を勤めていた高田清川は、(子上の須賀で清川学舎という私立小学校を開設した。清川学舎の創立年については、『文部省第三年報』では明治八年となっているが、潮来地方の諸文献には明治七年創立と記録されており、確定すべき史料は今までのところ発見されていない。ふたつの小学校はいずれも私立小学校として発足しているが、ともに延方郷校で教鞭をとっていた人物が学校を聞いていることは注目される。秀野学舎と清川学舎は、明治十年十月に合併して延方小学校となった。潮来小学校がおかれた長勝寺学校の場所は字諏訪原であり、校舎は沢田平格がかつて凶作に備えて設置しておいた精倉を改造したものであった。沢田格介と高田清川は引続き延方小学校の教員を勤めたが、高田清川は明治十一年に死去し、弟の高固定五郎が教員となった。延方村徳島では、江戸時代以来寺子屋が設けられていた則霧寺に徳島小学校が設立され(『文部省第三年報』〉、清水三鬼が教員を勤めていた。第V-28図第V-29図清水三鬼の墓碑