ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代基礎(即ち町村是)を確立せむとするにあれば、従来の統計年表等に依ら現ず、総て町村各戸の現実を根拠とし、正確詳細なる調査を遂げ、力めて近遺漏誤謬なきを期すぺし」(明治三十四年町村是調査標準)として、本格的なV調査の重要性を強調、単なる現況調査だけでなく、その原因、沿革の調査も重視して、そのうえで初めて将来の方針を樹立すべきことを説いたのである。つまり、町村是とは町村の将来依て以て立つ可き基礎H将来の方針のことである。この郡市町村是の策定を中心に据えた坂知事による茨城県の地方改良-事業は、前述の「郡市町村是調査標準」の布達から開始される。明治四十二年五月二十七日茨城県訓令甲第十三号として各郡役所および各町村役場に布達された内容は次のようなものであった。郡市町村是調査標準第条一般民力ノ充実ト福祉ノ増進トヲ期セムカ為郡市町村長ハ郡市町村是調査を為スへシ第条郡市町村是調査ハ郡市町村ノ位置、面積、戸数、人口、山獄、河川、港湾、池沼、耕宅地、山林原野等、自然的状態ヨリ人民ノ生業タル農業、林業、漁業、牧畜、商工業及教育、衛生、勤倹貯蓄、公共団体、基本財産、運輸交通機関等ノ知キ事ノ公益上重要ノ関係アルモノハ悉ク其現況ヲ調査スルモノトス第条郡市町村是ハ将来郡市町村治ノ方針ト為スヘキモノナルカ故ニ其ノ調査ハ徒-一形式-一流ル、如キ事ナク極メテ精神的ナモノトシ其ノ結果ヲシテ確実有効ナラシムルコトニ努ムへシ第四条郡市町村是調査要項ヲ定ムルコト別冊〈略〉ノ如シ第五条前条調査要項ハ各郡市町村-一其適スルモノノ一班ヲ示シタルニ過サルヲ以テ地方固有ノ事業等ニシテ公益上重要ナリト認ムルモノハ悉ク之レカ調査ヲ為スモノトス598)の訓令によって詳細な雛形付の調査要項が提示され、}れに基づいて県内各郡の郡是、各町村の町村是が調査策定されることになった。最も早いものは明治四十三年四月ごろに策定をみた町村もあり、遅いほうでは大正八年ごろまでかかった町村もあった。ちなみに、大正四年七月調「町村是設定町村名並其ノ設定年月日」によれば県内約三八O市町村の内一七六の町村がこの時点までに町村是設定を完了している。潮来町域一町三村では、潮来町を除く延方・大生原・津知の三村が明治四十二年末から四十三年にかけて調査に着手、いずれも明治末年までに村是設定を完了している。設定年月日は大生原村が明治四十四年八月二十日、津知村が明治四十四年七月三十一日、延方村が明治四十五年五月一日であった。}こでは大生原村を例として、村是調査の概要を記しておこAノ。調査ノ起源及方針目的本村々是調査ノ起源ハ明治四十二年五月二十七日本県訓令甲第十三号ヲ以テ郡市町村是調査標準ヲ規定セラレシニ始メタルモ本村-一ハ未タ曾テ調査ノ資料タルベキモノナク着手ニ際シ徒ニ袖手傍観スルニ止マリタリシカ本郡役所ニテハ今本調査ニ着手スルニ先チ町村長ヲ招集シテ其標準方針等ニ就テ指示スル所アリ故-一大ニ之レカ標的ヲ得タレパ直チニ其準備ヲナシ調査ニ着手セリ抑モ本調査タルヤ現在ノ実物ト将来採ルベキ量度ヲ仮定スルモノニシテ即沿革調査統計調査ニ起因シ適切ニ最大網羅シテ材料ヲ蒐集シ過去現在未来ニ通シテ一定不変ノ村是ヲ企図スルヲ以テ大方針トシ土地ト住民トニ依リテ村自治体ヲ組織シ本村公私一切ノ民政ヲ行フ明鑑ニシテ文生産的財産ト不生産的財産トヲ比較シテ其富強ヲ致ス所以ヲ講究シ其他諸般ノ経営ヲ施シ益々確立セル村是ノ下輩