ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近V年には開業させている。632成田鉄道の開業は、潮来地方を含む鹿行地方にも少なか潮来地方と佐原駅開業らぬ影響を与えた。まず、明治三十年に滑川駅まで開業げんたしたことで、同駅に近い源太河岸が利根川水運と成田鉄道の接続点の役割を持ち、下利根川、霞ヶ浦、北浦方面からの旅客が源太河岸と滑川駅を利用して、成田及び東京方面へ乗り継ぐようになった。佐原駅の船溜り(千葉県立大利根博物館提供)ついで、翌年に佐原まで開業すると、旅客の乗り継ぎ及び貨物の積み替えは佐原駅で行われるようになった。成田鉄道の佐原開業は、鹿行地方の物流と交通に大きな影響を与えた。それまで、利根川水運に依存していた旅客と貨物は、大量の物資を迅速かつ低廉に輸送する鉄道に急速に移ることになった。成田鉄道は利根川舟運業者と連帯運輸の契約を結び、佐原駅が霞ヶ浦・北浦の水運と東京を結ぶ重要な積み替え地となった。)のため、佐原駅北側には小野川を引き込んだ船溜りが設けられ、直接、貨物ヤlドと積み荷を交換できるよあつになった。まっさしなお、昭和八年(一九三三)に佐原・松岸聞が開業したため、佐原駅は第V-39図鹿行地方との積み替え地としての性格を一層強めた。佐原駅は、旅客の乗降より貨物取扱駅という性格が強く、また貨物の中でも米、醤油、酒、麦、木材の発送駅という性格が強かった。}れは、鹿行地方を含む後背地が米産地帯であり、酒造業が盛んであったことを反映したものであっfこ滑川まで開業した明治三十年には、成田鉄道の貨物輸送量は約七000トンであったが、佐原開業後の同三十一年には一万五000トンに増加し、同四十一年の成田鉄道十二駅の合計輸送量は、七万四000トンに迫り、なかでも佐原駅は二万七六00トンと全体の三八パーセントを