ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

庶民の手軽な交通手段として、自転車を忘れることは自転車の普及できない。大正期にはやや高嶺の花ながら、自転車が登場した。大正二年(一九一三)十一月二十四日には、潮来小学校で行方郡青年大会の連合運動会が開催されたが、その演目の中に「余興(自転車競走)、角力、煙火」があり、自転車が好奇の視線を浴びつつ、庶民の生活にとけ込んでいったようすが窺われる(「いはらき」むじん新聞)。当時としては高価な自転車であったが、販売庄が無尽方式で購入希望者を組織するなどして普及に努めた結果、次第に浸透していった。昭和十四年十月には、行方郡内の自転車業者による行方自転車組合が組織され、翌年五月には行方郡自転車小売商組合が、出資金四五OO円をもって設立された。同年二月には潮来青年学校男子部が、千葉市方面に耐寒自転車旅行を行うなど、昭和初期には自転車は、確実に潮来地方の人々の生活に浸透していった。昭和九年(一九三四)二月、潮来の福弥旅館汽船部に電話電話の開設が開通したと報じられた。当時は今日の一般加入電話にあたる「特設電話」の開設は、まだ珍しいものであったので話題になった。翌年二月には、潮来郵便局を中心とする九郵便局が、明治末・大正期の潮来地方東京方面への直通電話を架設するよう関係機関に陳情を開始した。また十三年四月に、潮来郵便局が特設電話の申し込みを受け付けたところ、二件の設置枠に対して二六件の申し込みがあり、ようやく電話加入が庶民の聞に浸透してきた。第2主645