ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第2章四年、潮来町長に就任した窪谷和は、町内の有志とはかつて内浪逆浦の地れたが、これまた地元農民の反対でいったん中止となっていた。昭和十明治末・大正期の潮来地方らによ添十治宝よりう年いる先ぺにず埋のくかれ立大こけも計正のて地画年内は元や間浪前農大に逆川民日も浦拡の本、の張反養内干工対魚浪拓事に株逆がと遭式浦、とい会を潮も中社め来に止にぐ町内とよ有浪なるっ志逆っ養てに浦て魚はよのい事大っ干る業日て拓。計本企がま画土画県たな地さか昭ど開れら和が墾た認九あ株。可年っ式さかた会社目第V-29れ日中戦争が泥沼化していた昭和十四年(一九三九)、食料増産の国策にあった。て肥料とし、また鯉、鮒、蝦、鰻などの豊かな漁獲物をもたらす源でも水面には多くの藻類が繁茂しており、周辺農民はこの藻や泥土を採取し潮来の内海であった。付近には葦、蒲、真菰が群生し、内浪逆浦干拓北利根川を経て霞ヶ浦へ、また北浦、利根川に通じる内浪逆浦は面積約三O芳平方キロメートル、外浪逆浦、恐頓首謹言レサセラレ迅速ニ許可セラレテ事ヲ懇願倒祈ノ至リニ堪へス誠憧誠天然自然ナ勢ナリト信ス伏翼クハ右ノ事実ト情状ヲ明察シ憐懲ヲ垂内浪逆浦干拓工事施工前後における地目別面積の変化工事施工前ノ力能ク企テ及ブ限リ水防ノ最大事業タル堤塘築造ノ止ムヲ得サル工事施行後潮来町津知村延方村言十潮来町津知村延方村計民有地223.906 18.329 22.426 264.801 1 572.519 1572.519田96.227 10.127 22.426 129.520 1 335.523 1335.523畑0.005 0.005 182.223 182.022宅地38.022 38.022原野127.004 8.202 135.206 11.807 11.807池沼4.729 4.729固有地1 690.213 0.823 3.326 1 694.502 386.714 386.714公有水面1 675.206 1675.206道路敷91.919 91.919水路敷15.007 0.823 3.326 19.226 205.521 205.521堤塘敷89.204 89.204合計1919.119 19.222 25.822 1959.303 1959.303 1959.303単位は反.r茨域県土地改良60年誌』による昭和二十五年のが完成したのは進め、干拓工事直轄して工事をのあと農林省がが閉鎖され、そに農地開発営団の昭和二十二年かった。終戦後かなか進捗しな招き、工事はなる労働力不足を徴兵・徴用によ戦争の深刻化は争の開始によるしかし太平洋戦が着手された。和十六年に工事傍観セハ老幼者ハ餓死シ壮者流離奔散シテ遂生ノ道ナキニ因リ人民に切りかえ、昭シ人口益々調ヒ然ルニ年々水害ヲ蒙リテ天災避ク可ラストシテ坐視による干拓事業絃ニ至ラパ毛髪傑然タリ方今国家ノ隆治-一際会シ本村生歯頻リニ増取消して同営団テ収支償ハス全ク生活ノ道絶へ-テ遺憾ノ惨状-一立チ至ルヤト思フテ木組との契約をタル藁ハ腐敗シテ其ノ用ヲ為サス他ヨリ買入レントスレハ高価ニシ同営団の直営工事として実施されることになったそ。こで潮来町では株ク転売シ或ハ輩ヲ織リ漁業ヲ営ミ僅カニ糊口ヲ凌キ来リタルモ原料発法を公布、同法により農地開発営団が設立されたが、内浪逆浦干拓も田稲造粒無キ惨状ヲ現スルハ必然ニシテ最早窮民共所有ノ田畑ハ悉干拓を企図、株木組と干拓工事契約を結んだ。昭和十六年政府は農地開649