ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近Vi特~Y\、時ことであった。ちなみに、第Vlm表は干拓工事施工前後における土地の地目別面積を示したものであるが、表に見るように、}の干拓工事によって約一三三町歩の水田と約一八町歩の畑が創出されたのである。この内浪逆浦干拓事業は「公有水面を干拓開田となし、耕地の拡張をはかり、地区内の原野を開田し、併せて道路、水路、排水機を新設し、交通運搬及び用排水の便を計り農業経営合理化と生産力の増加を計る」という目的で推進されたが、行政的な動きを時系列的に示せば次のような経緯をたどった(『茨城県土地改良六O年誌』による)。昭和六年十一月六日潮来町長磯山源七他一名代表者となり、内浪逆浦公有水面埋立の申請をなす昭和九年十月六日茨城県指令土第八四七八号を以て内浪逆浦公有水面埋立の件免許昭和十年七月二十七日茨城県指令耕第七一七三号を以て耕地整理施行の件認可浪逆開拓記念碑〔潮来町日の出〕昭和十四年四月十八日650茨城県指令土第六六七二号を以て公有水面埋立竣功期限延長の件認可昭和十六年二月二十五日茨城県指令耕第一O四八号を以て設計変更の件認可昭和十六年九月日農地開発法発令に伴い、農地開発営団の事業地区となる昭和十七年五月二十日茨城県指令土第四六七O号を以て農地開発営団理事長村上竜太郎、内浪逆浦公有水限埋立の件譲渡の認可第V-52図を得る昭和十八年十二月十二日茨城県指令土第三九三七号を以て公有水面埋立面積一六四町三畝二六歩と変更許可なる昭和二十年八月十五日終戦より、農地開発営団閉鎖機関に指定さる昭和二十二年八月四日1二十三年三月三十一日農林省直轄事業となり、国営事業として続行する。昭和二十三年四月日i二十五年三月三十一日茨城県代行事業となり、県営事業として続行し工事完了す以上のような経過のもとに一O年の歳月をかけて完成した内浪逆浦干拓について、干拓の推進者のひとり、当時の潮来町長窪谷和は次のように証言している(『ふるさと潮来第三輯』)。今でこそ美固化した潮来浪逆浦干拓も、昔「常陸なる浪逆の海の玉藻こそひけば絶えすれあどか絶えせん」と古歌があるが、此の土地である水郷潮来あやめと共に情緒豊かな船頭笠と緋乙女の舟を竿さした処であった。此の浦は潮来町二重谷と称する五百町歩の耕地と左右大洲、十番の地区に固まれ水面占有権九十万坪、農林省より認