ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代のことである。しかしながら鹿島町にも何割かは賛成者もあったので、656現潮来町としても挟手傍観して居られる筈もなくあの手此手を尽くした。近鹿島町執行部並に議会に対しての憤激は実にやるせないものがあり、潮V来町農民と鹿島町一部の農民六OO名にて干拓期成同盟(完成後の配分に際し頭痛の種となった)を結成し、初代会長に秋山泰助氏が選ばれ(中途で物故して次に山沢伊衛門氏が会長になった)、連日鹿島町役場に黒沢町長に対し、或は反対議員の自宅に対し数十分宛に分れて波状デモを繰り返した。流石の黒沢町長始め反対議員も進退谷まり遂に反対決議を撤回したのであった。其の二は完成後の配分であるが(四十二年配分完了)、最初の目標並に農業基本法とは凡そ似ても似つかない結果となったのが遺憾である。前にもふれているが干拓期成同盟の活発な活動が事業促進になったことを無視する訳にはいかなかった県の配分委員の苦肉の結果とでも言うのか。かくして約十数年の歳月と総工費八億六千万円を費やし、総面積二六八ヘクタール耕地約二一八ヘクタールが出来上がった延方干拓も時代の変遷とは言い、昭和四十四年までは奨励金を出して増産を唱えていたものが、四十五年からは奨励金を出して減反或は転作を指導する国の農政に変って来た。これは日本が高度経済成長の影響に依る農政の変化であって、例えば企業の言う一時的な操業短縮的なものでなくて永久的なものになりそうな気がしないでもない。朝野をあげて苦心惨櫓して出来上がった延方干拓の行方は如何になるのだろうか。