ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
障する必要が出てきたのである。}のような理由により、十番分教場が設立されたのであった。津知村においては、明治二十二年に辻へ津知第一尋常小学校が、築地一村二校の形で学校の経営が続けらへ津知第二尋常小学校が設置されれた。辻と築地が村の南北両端に位置するため、を作っても、通学の不便は免れないというのが最大の理由であった。しいずれの地区に小学校かし、明治四十四年七月に作られた「津知村是」には、教育方面の改良意見として、「地方的情弊を去り二校を併合し完全なる教育を施すの勝れるは既に識者の唱導する所なり、今誌に高等科を併置するの要は唯子弟の教育程度を高むるの事たるに止まらず経費の負担に至っても現在の維持費を以て肇も増賀を認めさるに於ては尚ほ将来の維持経営上最大の良案たるにあらすや」と指摘している。実際、「津知村是」に記載されている両校の学級編成をみると、津知第一尋常小学校は三学級編成で一学級に二学年を収容し、津知第二尋常小学校は二学級編成で一学級に三学年を収容する複式学級となっていた。授業の展開や効率を考えれば、複式学級を解消することは必要なことであった。村の財政的負担や授業の効率を考えれば一村一校のほうが好都合であることは明らかであるが、明治末・大正期の潮来地方通学の不便さから、現実には二校の体制がとられていたのである。村是を策定して始められた地方改良運動のなかで、どこの町村でも教育は重要な役割を担うものとされたが、津知村においても教育に対しては熱心に施策が講じられた。先にあげた児童就学奨励規程や学齢児童保護会会則のほかに、津知村教育会が設置され、村内の教育全般にわたる事業を展開していく体制が整えられた。津知村教育会会則第二条には、第2章「津知村教育の普及発達を図るを以て目的となす」と明記され、実施する事業としては次の七点が列挙されていた。教育勅語及戊申詔書の主旨を貫徹せしむること。学齢児童の保護をなすこと。四講習会を聞き青年及処女の指導をなすこと就学及出席督励を智助し不就学なからしむること。五孝子義僕及善行者の事蹟を調査し表彰すること。ー/\村内の陣習弊風を矯正し風紀の改善を図ること。七其他本会の目的を達成するに必要と認むる事項を調査し文は之が実行を図ること。また、大正十三年にまとめられた「津知尋常高等小学校沿革誌」によると、次のような校内の諸規程が細かく作られていた。津知尋常高等小学校管理規程(全五五条)津知尋常高等小学校児童心得(全九条、明治三十七年四月制定)児童一坪農業実施規程(全八条)津知尋常高等小学校職員貯金組合規程(全二条、明治四十二年九月制定)津知尋常高等小学校父兄懇話会規程(全二条)津知尋常高等小学校敬礼規程(全一六条)津知尋常高等小学校慶弔規程(全八条)津知尋常高等小学校衛生規程(全三五条)津知尋常高等小学校宿直規程(全五条、大正十年七月制定)津知尋常高等小学校事務分担規程(全五条)児童一坪農業実施規程は、高等科の児童に農業への趣味を極養させる目的で作られたもので、栽培日誌をつけさせ、優良な作物を作った児童を表彰することになっていた。父兄懇話会規程は、学校と家庭との関係を親密にして教育の効果をあげることを目的として作られた。毎年一回661