ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
協同一致シテ公私ノ事ニ当リ立徳富致ノ実ヲ挙ヶ、克ク相互ニ救済スルコト四納税其他公ノ義務ヲ重ンズベキコト規範として掲げられたこれらの項目は、戊申詔書に示された精神そのものであった。第六条には、八項目にわたる実行項目が列挙された。水原青年団の場合も、大生原斯民会とほぼ同様の会則が作られていた。大生原村に組織されたふたつの青年団は、大正三年になると合併して大生原青年義勇団となった(『行方郡郷土史』)。その他の町村においても、延方村では明治四十四年十二月に延方村青年会が結成されている。潮来町の青年会については、明治四十三年五月二十一日の「いはらき」新聞に、「潮来青年会十三日上町支部青年会を組織す」という見出しで報道されているので、}の時までには町の青年団組織ができていたことがわかる。女子については、各町村に処女会という組織が作られたが、当地方における処女会の創立に関する史料は今のところ見つからない。昭和二年に発行された『行方郡郷土史』には、津知村処女会と大生原村処女会の活動状況が紹介されている。}れによると、目的は双方とも「忠孝の本明治末・大正期の潮来地方義を体し品性の向上を図り、実際生活に適切なる知能を研き、婦徳を増進し、以て良妻賢母たるの素質を修養するを以て目的とす」と定められていた。事業としては、津知村の場合は次のような九項目があげられて、,コOL2 1会員は必ず補習学校へ入学すること裁縫、作法、育児、看護、料理其他家事に必要なる講習会を開第2章くこと講話会を開催し、精神の修養を図ること四巡回文庫を設くること五風俗の矯正を図ること-'-/\敬老会を設くること七模範会員の表彰をすること/\各種展覧会品評会を開催すること九遠足、旅行をなすこと『津知二小百弐年の歩み』によると、大正十一年三月十日に処女会の通俗講演会があり、五三名が出席したという記録がある。大生原村の場合には、補習学校への入学は規定しておらず、「副業の奨励を図ること」という項目が入っているが、その他はほとんど同じであった。両村ともに、女子には良妻賢母になるための心構えを説き、同時に実務的な訓練を施していったことがわかる。このように、青年団は日露戦争後に開始された地方改良運動のなかで本格的に組織化されていった。そして、大正から昭和時代にかけて発展していき、地域社会の中核的組織のひとつとして重要な役割を果たしていったのである。また青年団の事務局は小学校に置かれ、団長には小学校の校長が就任する場合が多かった。活動の具体的側面においても、講演会や生産物の品評会などは小学校を会場として実施された。公共施設の少なかったこともあるが、青年団の活動が小学校との強い関連のもとに展開されたことを強調しておきたい。今日の茨城県立漸来高等学校の母体となった潮来町潮来町立女子役芸学校の設立立女子技芸学校が、明治四十年(一九O七)七月二十五日に開校した。明治四十年当時の茨城県における県立の中等学校をみると、中学校が六校、高等女学校が二校、実業学校669