ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

ぬことであらう(昭和八年十二月十九日)しかし)の救農土木事業は、農民を農民として救済しようとするものではなく、農民を失業者として救済しようとしたもので、農業振興という側面からいえば、本末転倒の救済対策であったともいえる。農業恐慌に対するもうひとつの対策は昭和七年(一九三二)からはじまる農山漁村経済更生事業である。これは、農村の経済的破綻を打開するためには農民自身が自力をもって経済を更生(自力更生)すべきである、という趣旨のもと、昭和七年から五か年計画で全国一万町村の半数にあたる五OOO町村を「指定村」とし、町村ごとに経済更正計画をたてさせるものであった。茨城県でも、当時の三八O町村のうち半数にあたる一九O町村を五か年で指定村にする予定であったが、実際には、昭和七年から十三年までの七か年間に一七六の町村が指定されている。指定された町村では生産・生活全般そして多岐にわたる経済更生事業計画を書きあげたが、計画樹立に一OO円の補助金が交付される以外、各事業に対する補助金は全くなかった。「自力更生」たるゆえんである。従って更生計画は樹立しても、更生の実があがらない町村が多かった。当時の報告書は次のようにいう。「資力乏しきが為村民の熱意と努力とに拘らず、重要なる計画事項を実行すること能わず、計画全体を水泡に帰せしめんとするの虞あるもの砂からず」。そこで、昭和十一年から「特別助不況と戦争成町村」指定制度が設けられ、万円の低利融資およびその利子補給をするという政策がとられたのであ一町村平均一万五OOO円の助成金と二る。ちなみに潮来町域では延方村が初年度(昭和七年)の模範実行町村に指定され、次のような経済更生計画を策定している。第3章延方村経済更生計画書農村ノ概況本村ハ行方郡ノ東端ニ位シ三面ハ横利根川、浪逆浦、北浦ヲ以テ環シ之ニ沿フ所水田沃野相連リ此ノ面積実ニ八四五町四反ノ多キヲ占メ県下有数ノ米産農村タリ、人口四五九五人戸数七六三戸ヲ擁シ有名ナル鹿島神宮橋ノ一端ヲ架スル所ニシテ神域ニ接ス古来民風淳朴ニシテ情義厚ク真塾ニシテ勤勉力行ノ美風二畠ミ自治産業共-一結城郡西岡田村ト相並ンテ県下ノ模範村タリ概況ニ則シテ経済更生計画ヲ必要トスル理由本村ハ挙テ副業トシテ藁工品ノ製造ニ従事シ就中臥廷ハ県下ノ主要生産地タリ斯シテ平和ノ郷ヲ持続シ来リタリト雛近時ノ不況ハ農家経済ヲ脅威スル所深ニシテ先年解散ノ億再立-一至ラサル産業組合ノ設立運動勃興スルニ至リ過般第一回協議会ヲ開催セリ故-一県ハ此ノ模範ノ郷7yテ実行性ト効果性トヲ多分ニ有スル長所ヲ補ヒ速-一適切ナル自力更生ノ計画ヲ樹立セシメ他ハ以テ一般-一指針タラシメムトスル所以ナリ文本村-一ハ県下第一位-一自作農資金ヲ融通セルモノニシテ既一一自作農組合ノ設立成レル等併セテ早先的活動ヲ策セシメムトス経済更生計画土地利用ノ合理化イ耕作地ノ交換分合錯雑セル耕地ヲ交換分合シ其管理経営ノ便益-一資スルコトロ耕地ノ改良瀧減排水誼厩肥堆肥及緑肥施用方法-一依リ耕地ノ改良及び地力ノ増進ヲ図ルコトノ、耕地使用ノ経済化樹園ノ整理改植等-一依ル田畑ノ利用回数ノ増加其ノ他耕地利作物ノ転換裏作及間作物ノ栽培荒廃果用ヲ経済的ナラシムルコト675