ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第3章不況と戦争表V-37表主要副業の概況(昭和10年)町村名戸数戸養数蚕対養数戸蚕数戸比収価繭額廷産価q入生額戸戸%円円潮来町940 32 3.4 6639 64875津知村327 60 18.3 14155 25360大生原村351 63 17.9 8250 26026延方村845 35 4.1 7816 1220235十2463 190 7.7 36860 238284『昭和十年茨減県繭統計』より作成{円し娃臥生産価額は閉和10什e2月13日『いはらき』によるの不況を尻自にホクホクものであ記事)ことで、極めて低コストの副業であったことが有利な条件として681一即ち年産八十万枚を産出し今日閑の利用と自家生産の原料藁を使用する関係上生産費を要せざる」(前掲中延方村の知き本郡生産の三分のの打撃を軽減した。その背景には輩出帆製造が「市価極めて低廉なるも農各地方羨望の的となってゐる、就の農家に現金収入をもたらし、農産物価格の大幅下落による農家経営へは一躍三百万枚を突破する盛況で以上しばしば報告されているように、輩臥の生産は不況下の潮来町域年度の二百二十万枚に対し本年度二ハO七、小高村(昭十和年二月十三日)工品輩生産は長足の進歩をなし昨一工ハ、八八玉七川村一八、三八六行方村地方で本業を凌駕し収入の多い藁四、七O四玉造町八、O四手賀村行方地方の藁工品躍進】行方郡五、七一四要村【藍織りの収入で楽々と嫁入仕度五一、一一五大和村一一五、O、二六九八立花村津澄村クである(昭和七二年月十七日)一工Oハ二、六大生原村二二、四八太田村家は不況の折柄にも拘らずホクホ二五、三六O津知村一二二、O二三延方村茨城県として好評を博してゐるが目下製産の最盛期となり同地方農三一、九四O八代村六回、八七五潮来町今や年産三百万枚突破の状況で関東地方は勿論全国的に販路を有し一四、O七三麻生町二七、八八04香澄村内一円に行はれる副業藍玖の製産は郡農会検査所職員の督励によりに今各町村別製産高を示せば【延方の輩製造各地に販路拡大】行方郡延方村を中心として同郡が最高製産高を有する延方村の一ヶ年七十四万四千百五十枚を筆頭七日)(価格二十三万円)に達し尚本年度は三百万枚を突破する見込である出しも近年にない人出で非常な景気をみせてゐる(昭和七年二十月十く向上発展を見、同会調査による一ヶ年製産高は実に二百五十万枚さけびを他に同地方農家は不景気知らずでこれがため商屈の歳末買臥類)は郡農会江口農林技師以下各技手等指導奨励の結果近年著し所に展開され近年にない活況を呈してゐるので深刻なる農村不況の【行方藁工品産額増加筆頭は延方村】行方郡における藁工品(註殺到し問屋側の買出入は同郡内に多数人込み買出しの争奪戦まで各ある(昭和九年五月一日)あるところへ目下品不足を唱ふる状態にあるので歳末に際し注文がと漸く百五十円か二百円で、子女の織る廷の収入と変りない状態で三千戸といはれてゐる、然も東京市場では行方玖の声価を高めつLが村内に溢れてゐる、今農男一人一年小作としての収入を計算する比し本年は三百万枚を算しその金額三十万円の巨額に達し従業戸数けられ一年の収入百五十円より二百円を算して居り勤勉貯蓄の美風る輩玖の製造は近年非常な発達を来し昨年の生産高二百二十万枚にる、殊に子女が家庭の閑に織る廷はやがて嫁入万端の用意にふり向