ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
原始・古代で作られた最初の道具は、茨城県内では、約三万年前の層の中から出土する敵打器と呼ばれるもので、}の道具はもっとも原始的で、河原などにある手頃な石を先だけ加工して刃を作り、手に持って、動物などにE打撃を与えて狩る方法が考えられ、}の行動を持つ文化を敵打器文化としている。割って使うことを知った人は、より細かな細工用の道具を作るため、ガラスのように割れ易い石材(珪質頁岩、メノウ、安山岩、石英、黒曜石)が選ばれ)れらの材料を剥離して、薄い面に鋭い刃を作り、ナイフのよあフにして、ものを切ったり、削ったりする道具が作られ、}れらの道具を使った文化を、小型刃器文化としている。小型石刃文化は、直接打撃で二つに割った石から、第コ石道具であるパンチ(たがね)を使って間接に石を剥離する方法|間接打撃法ーができてはじめて完成する。しかも、間接打撃法によって作られた剥片は、骨や角を強い力で押しつけることによって、刃を付けたり、より細かな剥片を作る方法押圧剥離法がくわえられる。剥離する技術がより精密化すると、}れまで使われなかった小さな剥片を加工して、柳の葉の形をした矢の先につける尖頭器ゃ、槍先が作られるようになり、}れまでの手にもつ道具から、離れていても獲物が取れる飛び道具が作られるようになり、この文化を尖頭器文化としている。これまで落とし穴を使ったり、尖頭器や槍先が作られるようになると、獣道で待ち伏せたり、毘をかけたりしていた狩猟が、逃げる獲物も捕ることができるようになり、狩猟場の拡大と、食料が比較的増えることによる精神的な安定があったのではないだろうか。これまで剥離した剥片が小さいものはあまり使われなかったが、北アジアのパイカル湖から中国大陸にみられた細石刃文化が、日本列島にも、細長くて薄い剥片を作る技術がはいりこの剥片を組合せて道具を作る58ようになる。}の文化は、大陸と同じ細石器文化とよんでいる。細石器文化になると、勝田市後野遺跡にみられるような無文土器が現れる。しかも、火山活動も下火になり、関東ロlム層を形成した火山灰の降下も次第になくなる時期でもある。人の知恵は、約三万年の経過の中での経験により、より使いやすい道それは環境に順応する姿をはっきりうきあがらせている。道具の発達は、生活環境の変化に伴い、さまざまな要素を作具を作り出してきたが、り出しているが、生活環境の中で、土器の出現は、生活にさまざまな変化を与えることになる。