ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
不況と戦争第3章-戸同百平τ、又畏'〈宝吠え色間内忠清弘??へ紘一宇,室直ヘヲ寸永--光被aL' ft大求立役引芋司ザzf堂一四臣官ヘ次危ゑ公'効成、副町永凡此' {ハム品川'一大笠前川島際令レ翼賛永世A e晶子容もよへ葬場均車れ可・膏Hru十周忌拘寄j牽本能面ノ神山科'大前品目署え創刊えお永黒柱凡せ十周'給水LT生駒机周'赤城パ刊かふ官,dん4ヘ戦域、』サキ九砕け返ム宵H骨子組帆弁ム'・え砂町噂習中、4Rd本母Jト7HW切車寸pi?同士す主主や瀬本町袈守一証平岡ばれている。続いて一月二十四日には各町村の正副団長が発表されたが、そのメンバーは次のようであった。町村名長副団長団潮来町大塚震塚本勝利津知村大川豊太郎佐藤進延方村立野三司小田倉晃草野吉衛大生原村石津政嘉箕輪治雄翼賛壮年団の宣誓文原英夫各町村の正副団長を決定した後、同年月七日午前一O時から麻生中学校講堂において行方郡翼賛壮年団の結図式が行われた。第V -58図約三OO名にのぼる参会者は、結団式に先立って麻生町の大麻神社に参拝し、血盟と挺身奉皇の宣誓式を行って、新しい組織を誕生させた。翼賛壮年団は大政翼賛会と連携を保ちながら、戦時下の各種活動を精力的に展開していくことになった。翼賛運動の先駆的な動きは、延方村においてもみられた。延方村には他の町村と同じように、産業組合と農会があったのであるが、昭和十六年に村長である山沢喜兵衛が、産業組合の理事長と農会長を一人で兼任する体制を作ろうとしたことである。延方村では従来の産業組合をいったん解散し、あらためて昭和十六年一月二十三日に、延方小学校において延方産業組合設立委員会を開催した。そこでは山沢喜兵衛村長が指名した詮衡委員が協議し、理事一O名と幹事七名を選任した。}れは当そして理事長には山沢喜兵衛が就任した。時唱えられていた新体制運動のなかで、「農村の新体制の確立は自治機構の一元化から」という考えに立つての動きであった。昭和十六年一月二十七日の「いはらき」新聞は、「更に山沢村長はこの程同村農会長井村三造氏辞任の後を継ぎ、農会長をも兼任することに略決定したので村民は山沢村長を絶対信頼し、真の臣道実践への気醜が濃厚となった」と報じている。新しい産業組合の創立総会は同年三月二十日に、延方小学校で行われこのような体制を作ることに対して、村内には異論があったようでfこあるが、この点に関して昭和十六年三月二十三日の「いはらき」新聞は「尚同産組が真の皇道翼賛産業組合として今日の創立総会を挙げるに至るまでの問、旧体制を脱却し得ぬ同村の一部権力或は現状維持的勢力に支配さる」幾多の難関に逢着しながらよくこれを突破し得たる同村革新同志会並に同勤皇まことむすび同志等の天業翼賛の大道に慕進する不動の信念は各方面から感激されている」と述ぺ、}の時に行われた宣誓を掲載している。その宣誓とは、次のようなものであった。皇道維新の繁明に輝く紀元二千六百一年を迎え}こに我が延方村産業組合は皇道経済を基本として再誕す吾等身を皇国維新の農兵として奉ずるもの深く思いて肇国の昔に馳せ国体観念を明確にし堅忍持久協心裁力誓って臣道を完し過去に泥ず一切の私心を去り銃後の護りを一層固め以て職域奉公の誠を効し天皇に直属する農兵たる自覚のしたに其の分担使命貫徹を誓う689