ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第3章不況と戦争(綱れ城勲て奉学なら昭領た昭県者こは仕校地の三二一が和かとの、で、域不、営、和。、大一二らい時七賄鹿へ耕戦の神二久食月十感うの月わ島田地局確風保糧十十年謝こ作七れ農植への立特年町五に状と業日た学え水危、攻増長二日ながではに。校を稲機利精産かる贈、か茨六、行を打己神に月らにとら大な城月麻う作聞的に体六発行、れ久り県末生にりは利共当案わ潮保のか中た日されてのは、一潤鳴来町成ら学古莫食り「れたいつ追、町長果開校井大糧で茨、農るに及皇にとを始や喜な増の突城満家。懸国お潮おさ国実労産農の撃場総い来され民っ新働に業一たす決て高知めた学て聞致力寄経め起潮等事、不校食でが与営の」臨来女が同耕高糧決必すの増)時町学視年地等増定要る排産。町神校察さ十解科での産撃、常れ風のに月消のあがに皇た会農湯訪にの生っ目あ国もの業沢れはた徒た的り、のの席特卯て不めながで労たでで、攻吉耕いのど、あ力めあ次隊校地る作に潮っ、のっのが長開。業よ来た肥農たよ結へ拓にる高。業う成、のつ勤料等広経なさ茨殊い労、女大れ逆浦干拓東京都戦時開拓農場には六四町歩に及ぶ不耕地があった。町域の、八O町歩に及ぶ干拓地への田植え作業が実施された。とくに浪昭和十九年になると、人手不足が主な原因で不耕地となっていた潮来である。の従事者を動員して、全町の共同炊事と共同作業を行う計画を立てたのとした。すなわち春の農繁期には、町の全戸数の約六割に近い農業以外個々に行われていた農業生産を、全町が一丸となって遂行していくこと食糧増産指導本部を設置し、町長自ら本部長に就任した。そして従来ていった。昭和十八年三月には、各種農業関係団体をまとめて役場内に第V-39表米と麦類の作付面積および実収高潮来町年次作付面積実収主同主作付面積実収宅『司全r水稲陸稲メE丸コ呈ロ↓l水稲陸稲合計大麦裸麦小麦合計大麦裸麦小麦合計田I歩田I歩町歩むー石石町歩町歩圃I歩田J歩{i石,(j石昭和16年45 1.5 46.5 1541 1542 36.7 8.6 26.7 72 463 129 347 939昭和17年478.4 0.9 479.3 10948 6 10954 36 8.5 25.5 70 576 90 352 1018昭和18年485.3 1.1 486.4 9398 8 9406 32.6 3.1 33.4 69.1 592 45 453 1090昭和19年34.1 2.4 27.4 63.9 569 30 379 978昭和20年475.5。475.5 5070。5070 22.1 0.3 21.2 43.6 321 4 215 540延方村育作付面積実収R会司r育作付面積実収I司会r年次水稲陸稲合計水稲陸稲合計大麦裸麦小麦合計大麦裸麦小麦合計町歩町歩田I歩石石石町歩国J歩町歩石石石石昭和16年124.2 4.2 128.4 3373 14 3387 20.2 24.8 3町8歩.8 83.8 364 422 699 1485昭和17年727.6 9.5 737.1 16454 22 16476 35.8 4.5 90.2 130.5 681 90 1714 2485昭和18年714 2.6 716.6 14679 1 14690 34.1 4.3 86.9 125.3 308 37 696 1041昭和19年38.3 2.4 79.3 120 613 19 951 1583昭和20年591.3 0.2 591.5 6761。6761 21.3 0.1 52.8 84.2 397 512 916出典『茨城県の米Jr茨城県の麦』より作成697