ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代現近V第V-61図昭和初期の潮来尋常高等小学校教育設備の拡充は町村財政を圧迫するものであったが、このような状70況の中で、小学校の教育は熱心に展開されていた。教員の動きをみると、昭和四年に結成された昭和会の活動がまずあげられる(望月勝「昭和会の思い出」『行方郡教育史』)。}れは行方郡内の小学校教員約二O名が、教育活動の実践的研究を行うために結成した団体であり、学校長のなかにも参加する人がいたが、メンバーの多くは教職歴三1六年の若い教員であった。この昭和会は、昭和七年に『算術教授細目』という算術の授業のカリキュラムを編集して発行した。尋常科一年生から高等科二年生までの合計八冊を発行し、各学年につき一OO頁ほどの厚さの本であった。この本は、玉造町出身で東京高等師範学校附属小学校に勤務していた郡司宗雄が推薦してくれたこともあって好評を博し、台湾からの注文を含め、全国各地から注文があったという。当時は、「読んでくどいておこってみたが、できるはずなし黒表紙」とか、「わが頭、もとよりまるきものなれば、四角三角できるはずなし」などといわれ、算術の授業は苦労の多いものであった。}のような時に、教授細目が出たために各方面から注目され、同時に便利なマニュアルとして、利用されていったようである。また、行方郡教育会の活動も活発に行われていた。昭和五年六月には潮来尋常高等小学校において公開授業を実施して研究会を行っており、昭和六年十月には行方郡教育会に理科部会が発足した(「いはらき」新聞昭和六年十月二十四日)。公開授業をともなった研究会はこの頃には何度も行われるようになった。行方郡教育会が活動を活発化し、研究組織が整備されていくなかで、昭和会は昭和十一年頃に自然消滅していった。またこの時期には、郷土に根ざした日本史に関する教育が重視されたことが特筆される。昭和七年十二月には潮来尋常高等小学校において国