ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
潮来町の誕生第4章大火に行方地方事務所及同町役場では直ちに潮来高等女学校に救護所を設置、縁故者のない催災者等を収容給食を行って救護に努めてL、る町役場が焼失したため、町当局の業務にも支障をきたしたことは当然であるが、「即夜急施町会を町長宅で開催、擢災者の救護その他善後策を協議した」とある。戦後混乱期とはいえ、擢災者への救護は迅速に運ばれた。火災の翌日には、八代村(牛堀町)、津知村、延方村三か村の助力により催災者五四大火直後の町の中心部五人に対し、三OOO人分の炊出しをした。右の急施町会では、二十三日からは擢災者一人につき、米二合五勺、味噌三五匁、醤油一合を七日分支給することを決定している。このような大きな災害をもたらしたのは、日本海の低気圧が津軽海峡を経て本州北部へ抜けたため、南から強風が吹いたためといわれる。東京では瞬間最大風速二七メートル、平均一五メートルの風が吹いた。v)第V-69図のため、県下各地で火災が発生している。四月二十日、大子町で四戸四棟、二十一日、新治郡園部村(八郷町)で三戸九棟、二十二日、行方郡立花村(玉造町)で三戸八棟をそれぞれ焼いている。四月から五月にかけて、火災が多発することはよくいわれている。潮来町の大火をうけたためかどうか、四月二十六日の新聞には損害保険会社の広告が掲載されている。「風炎来襲」として、「風炎は春特有の気節風です、風炎を含む此れからの風は物を著しく乾燥させ火気を強く拡大させます、春に大火の多いのは風炎の作用です」と注意を促している。フエ|ンを風炎と漢字にあてたのであろう。しかし、この年四月には県内で大火災が相次ぐ。広告の出た同じ日の正午ごろ、石塚町(常北町)では、目抜き通り往来の一七一様をふくむこ725