ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代現近V七二棟が焼け、一五O O人が擢災した。さらに二十九日には、那珂湊町726(ひたちなか市)の大火である。戸数回000戸、人口一万九OOOの同町で一八OO戸が焼け、五九OO人が擢災したのである。町の復興は、順調に進んでいったとみるべきである。被災一か月後に、新聞は「潮来は挙町一致で突進」(「茨城新聞」昭和二十二年五月二十九日)との見出しで、復興の体制が整ったことをつぎのように報じた。潮来町の復興は世間の溢ふるL同情と}れに感激の催災者達の奮起で急ピッチに運ばれている。即ち麻中、潮来高女生、隣村民の援助によって整理された焼あとパラック住宅二十余棟が既に建てられ一方擢災者たちは曜災者同盟を結成また同町首脳部は木材、建築材料、同設計、資金、備品等五つの専門部会に百三十五の委員から成る復興委員会を設け復興活動を開始し入手難が予定されていたクギも既に二戸当り四貰五百匁づLが配給された第V-70図同町十三軒の材木商と建具屋が手持品すべてを一割引で供出するの話合もついた営造物の復興策は元北浦海軍航空隊第三兵舎三百坪、同通信講堂二階建二百坪を小学校々舎に、同武道館百二十坪を役場庁舎に夫々払下げ許可され}れに要する不足木材は鹿島町所在の国有林二千五百石を払下げることに二十七日町会で議決文復興費用は現在の町財政では到底賄へ切れぬので、三百二十六万一千円の起債許可を復興院に申請する等、復興の手筈一切は完備、)の上は本格的な工事に着手するのみとなっている。右のように、役場や学校の建築には北浦海軍航空隊の旧兵舎が充てられた。しかし火災の規模が那珂湊町とは大きく違っていたとはいえ、v」こではすでに公営住宅五O戸が完成していたのに対し、旧潮来町では、急場しのぎのバラック住宅二O棟余と、やや出遅れの感はいなめない。