ブックタイトル潮来町史
- ページ
- 739/1018
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている739ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている739ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
潮来町史
そうはいっても、大火一年後には、「潮来町大火一周年復興祭」が催されている。再び新聞のいうところをきけば(「茨城新聞」昭和二十三年四月二十七日)、昭和二十三年四月二十五日からの三日間、潮来は「底抜け騒ぎ」で、「復興祭一色にぬりつぶ」されたとつぎのように報告されて、,コOLad -潮来町が烈火に焼かれてから満一カ年、二十五、六、七日の三日間にぎやかな復興祭が行われた。同町の大火は昨年四月廿一日で役場を始め小学校、公民館、警部補派出所などの官公庁下町二丁目から六丁目それに七軒町の一部と百十四戸を焼き損害は二億円に達した、その後橋本町長を中心として文字通り復興に馬力をかけ一年たった今日では物の掛声ばかりが県下随一を誇る堂々たる新制中学校までピきて全く面目を一新、バラックのかげさえ見えぬという資材難の今日すばらしい復興ぶりを示している復興祭の第一日二十五日は午前十時友末知事臨席の下に潮来警察署の落成式に始まりついで公民館で復興記念式典、小学校の舞台では「あやめ踊」や銀座踊、潮来芸者の底抜け花車が町をねり歩くなど、公民館の〆香の唄とともに輿を呼び、女学校では野球、ピンポン大会、あやめ旅館前の投網競技会など盛沢山の余興が近郷近在はもとより対岸の千葉県からも人を呼び商工祭と合せて大潮来町の誕生にぎわいを呈した第二日の二十六日はあやめ踊や銀座踊の他に大神楽、女学校庭ではワラ工品の全国予選、第三日の二十七日はさらに歌謡コンクールや映画大会まで加えてさらに人出を予想されている第4章戦後間もなくの祭りのありょうは、右の引用で充分であろう。の年のうちに、町では自前の警察を置くことになった。昭和二十三年三月七日に施行された警察法により、人口五OOO人以上の市街的町村はその区域内に警察を維持し、法律及び秩序の執行の責にあたらねばならなかった。旧潮来町も当然この市街的町村に当るので、県内三市三九町とともに自治体警察を設置した。引用の記事にある潮来警察署の落成式は、この自治体警察署のことである。その維持のために、町の支出は多額に上ったはずである。さらに前年三月に公布された学校教育法により設置された新制中学校の校舎を確保するために、県内市町村はどこも苦慮していたのに反し、潮来町は県下随一を誇る堂々とした校舎を建築したのである。大火のために起債は認められたにしても、損害二億円といわれた大火の跡始末と戦後改革期に集中した諸制度の改変にともなう財政支出に対して、町当局の払った犠牲は大きかったはずである。復興一年を報じた同じ紙面には、後日水郷固定公園として名を成す水郷潮来の観光地復活の第一歩が記されている。観光地潮来については、後輩でみることにして、戦争で荒廃したあやめ閣の再生への取組みを、新聞で読むことにしよう。水郷とあやめで名高い潮来町を中心として鹿島宮中を結び、むかしの水郷観光地帯を復活しようという具体的な運動が地元の橋本潮来町長を中心として動いている観光地として有名な潮来付近は戦時中の放りっぱなしがタタってカンジンの、あやめも少なくなり、あれたまLになっているがこんどこれを復活させ水郷の自然の美と合せて外地を始め大いに観光客を誘致しようというものだが五月上旬には観光協会の結成、あやめの移植祭などNHKの録音班まで呼んでにぎやかに行われる727