ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第4主潮来町の誕生第V-42表潮来町域農民組合一覧(昭和22年5月末日現在)キ且メ巨泊3、名地域組員合数主なる事業の種類組合長大生原村農民自治会大生原村一円276干拓促進・開拓反対飯島博日農津知支部津知村一円200農地改革の推進内武雄日農延方支部延方村一円350農地改革の推進根本幸之助茨域県経済部産業振興課「茨城県下農民組合一覧」による第V-43表自小作別農家戸数(昭和24年3月l日現在)町村名保所の有貸有限付農度地家自作農小自作作兼農小自作作兼農小作農計戸戸戸戸戸戸潮来町1915617384121553津知村110 90 21 25 246延方村49 299 276 71 64 759大生原村6 110 134 51 46 347言十74 675 673 227 256 1905農林省農地局設地課「股地等開放実績調査茨城県」所収rJJ:l地統計調査」によるfこ。改革初期の段階で「未墾地解放闘争」が盛んに行われた地域に属してい下農民組合一覧」)といわれた常東農民組合の大きな影響下にあり、農地の組合員を有し::各:支部とも幹部の結束はかたく:::(前」掲「茨城県秀の指導下にあり、同氏の主宰せる日農系、常東農民組合は総数十数万する東茨城、那珂、久慈、多賀の一部及び鹿島行方の各郡は日農山口武進したのである。特に、潮来町域を含む行方郡地方は「水戸市を中心と第V-44表自小作別田畑面積(昭和24年3月1日現在)回矧町村名百十自作地小作地自作地小作地潮来町聞I田I田I田I278.2 179.3 38.7 15.3町511.5津知村113.631.843.511.7200.6延方村499.0100.170.817.9687.8大生原村122.336.990.631.4281.3百十1 013.1 348.1 243.6 76.3 1681.2農林省農地局農地諜ro地等開放実績調査茨減県」所収「段地統計調fiJによる林亨氏が日農八代津知支部と731もその一つ行方地方事務所長て悶着を起こしているがこれ各地で未開墾地開放をめぐっ[大生原村開墾に農民が反対]れたのである。なる独自の農民組合の動きがなさ活の視点から日農川常東系とは異見るように、農業生産及び農村生は次の「いはらき」新聞の記事にむしろ、大生原村の開墾に関して地解放闘争がほとんどなかった。が極めて小さく、山林解放H未墾影響下にあったものの、圧倒的な水団地帯であったために、山林の比重しかし、潮来町域においては、農民運動自身は常東農民組合の大きなである。常東農民組合の支配的な地域においては多くの未墾地が解放になったの地主勢力と農民組織の対立紛争が各地に生じたが、鹿島・行方を中心にであるか否かの認定もかなり微妙である場合が少なくなかった。そこできた農地と異なり、地主も入植、増反希望者も多数にわたり、開拓適地積については都道府県農地委員会が作成したが、事務的機械的に把握で買収計画は一O町歩以下については市町村農地委員会が、それ以上の面加があり、開拓による耕地の拡大が大きな課題としであった。未墾地ののであった。その背景には、敗戦による大量の引揚者H人口の飛躍的増この未墾地の解放は、農地の解放とならんで農地改革の主軸をなすも