ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第4章潮来町の誕生第V-47表経営面積広狭別農家数総戸数3反未満3-5反5反-1町1-1.5町1.5-2町2-3町3-5町昭和25年戸%戸%戸%戸%戸%戸%戸%戸%潮来地区577 (100) 105 (18.2)85 (14.7) 145 (25.1) 132 (2.9)86 (14.9) 23 (4.0)1 (0.2)津知地区233 (100)17 ( 7.3)34 (14.6)81 (34.8)71 (30.5)28 (12.0)2 (0.8)延方地区751 (100)94 (12.5)99 (13.2) 222 (29.6) 237 (31.6)81 (10.8) 17 (2.3)大生原地区352 (100)58 (16.5)53 (15.0) 129 (36.6) 80 (2.7) 28 ( 8.0)4 (1.1)言十1913 (100) 274 (14.3) 271 (14.2) 577 (30.2) 520 (27.2) 223 (1.7) 46 (2.4)1 (-)昭和35年潮来地区479 (100)75 (15.7) 56 (1.7) 117 (24.5) 102 (21.3)88 (18.4) 40 (8.4)1 (ー)津知地区164 (100)16 ( 9.8)20 (12.2)57 (34.7)53 (32.3)12 ( 7.3)6 (3.7)延方地区721 (100) 74 (10.3)98 (13.6) 202 (28.0) 230 (31.9)90 (12.5) 23 (3.2)大生原地区340 (100)40 (1.8)47 (13.8) 103 (30.2) 303 (30.3)37 (10.9) 10 (2.9)言十1704 (100) 205 (12.0) 221 (13.0) 479 (28.1) 488 (28.6) 227 (13.3) 84 (4.7)1 (ー)各年「世界段林業センサスJ(市町村別統計書)による.延方地区には例外政家が昭和25年ーに1,昭和35年に4あるた。潮来製作所では輸出向けのゼンマイ玩具の生産に忙しく、外貨獲得735であった。しかし、外国市場をにらんだのは、農作物ばかりではなかっカエルといい、椎茸といい、圏内市場向けではなく、目標は輸出向けして将来益々有望」という。励」しているという(同昭和二十五年一月三十日)。椎茸は「輸出出荷と「今年度は全郡下に普及、農家の現金収入を図ろうと計画、栽培を奨り、昨年度は行方、香澄、延方の各村で栽培して好成績をあげたので、る。「農村の金詰り打開策として椎茸は農家の副業としても最適」であ昭和二十五年になれば、農協の行方指導連支所で、椎茸栽培を奨励すが期待されている(「いはらき」新聞昭和二十四年十月二十一日)つある、来年度は県が放流した、おたまじゃくし三千買の成育繁殖度で取引されているが冬期の近づくにつれて捕獲高も漸次減少しつ釣や夜打ちなどで一人二、三貫から五、六買を捕獲、貫当り三百程メリカ向輸出品のホlプとして話題にのぼり同地方では夜毎カエル水郷潮来北浦沿岸一得に近年食用カエルが繁殖、}の春ころからア繁殖に着手した。を打ったとは思われないが、早くも昭和二十四年に、県は食用カエルの食糧危機が去れば、農村は金詰り傾向をみせることになる。その先手った。どは、市場の需めに左右され、期待ほどの収益もあげずに消え去ってい球根い、わく、水芹栽培、いわく水原の生聾:::。しかそしの、ほとん方地方でも新聞記事せりしようがになるような副業がみられた。いわく、輸出用百合関心が向けられ、奨励されることが多かった。昭和六年の不況時に、行たように、農村がまるごと不況の中に立たされれば、農家副業に対して業により現金収入を得るか、二つの方法以外に術はなかった。前章でみ