ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近V格は八八三O円にとどまる。したがって、村内生産の稲わらの全量をわ738ら工品に投入しても、なお二OOO円分は移入しなければならないことになる。牛馬の敷わら、その他に振り向けられる分をみれば、わら細工に用いられる自村産の稲わらは、その半額を越えることはなく、したがって他から移入される分は五、六OOO円の巨額に達することになる。そのうえ「村内製廷の業に従事する者は比較的耕作反別の少き農家なり。故に自家生産の藁は其製藍に使用する分量に比して一小部分に過ぎすしかます織機(神栖町歴史民俗資料館蔵)て其原料は殆んと全く購入するものと見倣すべき」であるという。大正元年から四年までの年平均で五八万三二五O枚を織りあげ、販売価額二万四九O二円五O銭を得ていた延方村においても事情は軽野村と大きく異なるところはない。稲わらについては「本村に生産する稲藁は、之を尽く製廷に供用するものとするも、其半額に充たず、其不足する分は之を千葉県又は鹿島郡或は隣村より購入す。村内に於て家畜の敷薬、すe』,s肥料用等に供する分量も又頗る多額なるが故に本村製藍原料の六、七割みなしかは他より輸入するものと見倣すぺきなり。市して最も多く製廷に従事す第V-74図るものは細農にして、耕作反別も亦少きか故に此等の農家は其原料の多分は購入するもの」である。しかもつぎに引用するように、延方村では、余業、副業ではなく、本業としてわら細工を営むものまで出現している。いえ本村藁細工に従事する者は貧富の区別なしと難ども貧民程従事する事多く、普通の農家は主として冬期又は雨天、他に農事の作業なき際に行ふ位なれとも、細民は之が為めに田畑の耕作反別を減し、農繁の際に於ても尚従事する者あり。本村に於て全く農耕をなさすしかますて、製輩、玖縫のみにて渡世にする者数戸を数ふるなり。織り上ったわら細工についていえば、延方村と軽野村では差異がみられる。