ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
ケ方定数一一充タサルノミナラス、藁ヲヨク打タスシテ作レル故、切レ易ク、文其端ヲ結ハスシテ只撚リテ狭ミ込ムニ過キサレハ、直ニ寛シテ用ニ立タス。東京ノ一米穀商ハ評シテ、茨城ノ俵装ハ言語同断ナリト云ヘル程ナリ。品質、調製、俵装と三拍子揃って一度失墜した声価を回復するのは容易なことではなく、「声価向上と宣伝のために、俵の中に福引券を入れて、当った人には県産のワカサギを一貫匁賞品とし贈呈したりするようなこと」までしたという。濫造によって声価を下げた大正時代の米の轍を茨城産のわら工品は再度踏んだことになる。昭和三十年になると、かます製造にとって新しい障碍が生まれる。「潮来食糧事務所出張所管内で現在日産一万枚の生産高をあげ三号カマス一枚十五円という高価を保持してカマス王国の地位を再び確保している」(「いはらき」新聞昭和三十年一月十八日)とはいうものの「最近肥料包装用のカマスが紙や麻の袋に代ってしまい: : :カマスの前途に波紋を投げている」という。)の事態に対して各町村は行方郡下の生産農家の調印をとりまとめて、「1紙や麻の袋を肥料会社は使用しない2今後農家ではカマス以外の袋に入った肥料は買わないことにする」などの事項を関係各方面に「通達」して、水田単作地帯唯一の副業であるかます製造の維持を図ることにしたという。農協中央会行方支所の見とおしは潮来町の誕生暗く、「現在肥料包装の約三割程度が紙袋となっているので、カマスの前途は容易なものではない。品質の向上と価格落しなどで販路は一応打開出来ようが、}のまLでゆくと一、二年のうちに全部紙袋におされてしまう模様」(同昭和三十年六月十九日)と予測している。第4章製品の質の向上が叫ばれ、米の豊作により豊富な原料わらを使ったかます製造が好況をみせている昭和三十二年四月、農協中央会郡支部が実態調査を行っている。結論は、「原料のワラを他から購入してまですぺき仕事ではなく、水稲栽培の副産物として自家で得たワラを使つての副業でなければ、この地方のムシロ、カマス生産は採算がとれない」とし、「一日三百円程度の労賃かせぎが精いっぱいである」(向昭和三十二年四月九日)ということになる。数年前に、延方村一村で供米代金を上回る一億円を得ていたのであるから、凋落は明白である。昭和三十七年の新聞は、「全自動式を使って量産に拍車をかけているため品質がとみに低下」(「いはらき」新聞昭和三十七年七月十四日)していることを伝え、「食糧事務所では検査をきびしくしているが、業者の中には表面だけに良品をかぶせ、中に不良品を入れこん包するという悪質なものもいるという」との伝聞まで報じている。かます製造もここまで荒廃すれば、瓦解は目前である。以上みてきたように、わら細工が本業をしのぐほどの活況をみせたのは、戦中から戦後間もないわずかの期間であった。副業であるかます製造が本業の稲作にも影響を与えたことが、昭和三十二年版「町勢要覧」で指摘されている。畑が少ないため、農閑期は夜仕事までして藁工品の生産を盛にして、}》。LAそれがため稲藁の大部分はその材料に向けられているので堆肥の材料が僅少となり金肥依存の結果肥料購入支出が多く、文施肥の失敗等のため病害の発生を促し経営の中心である稲作を不安定にしている。産業別就業構造を第Vl必表によってみておこう。産業別就業構造合併前の昭和二十五年の国勢調査の結果によれば、第一次産業が圧倒的比重を占めている。とくに延方村では、八Oパーセント以上が農業に従事しているのである。これと反743