ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近V咽....圃-.:.-・'対に旧潮来町では、半数をやや越えるにすぎない。その分第三次産業が746高い比率をみせている。第一次産業について、三方を水に固まれているにもかかわらず、意外に水産業の占める比率が低い。}れについては、昭和三十二年版「町勢要覧」は、「霞ヶ浦と北浦の合流地帯、即ち北利根川と前川と浪逆浦に包まれて水産業は好条件であるが遺憾ながら専業の漁家がなく、農業を従とした漁家が多く殆と農繁期中は漁獲せず農閑期を利用しての漁業である」といい、統計上は農業に従事するものとし現在のナイノレス部品株式会社潮来工場て計出されていたものとみられる。第二次産業のうち、製造業が建設業を大きく上回っている。その製造業も「本町に於ける工業は、食料品製造業が圧倒的に多く、その大半は町内及び近在町村の消費に充てられている。その主なる製造業はパン及び菓子製造業が三割弱を占め、次に精穀及び製粉業が二割弱でこれに次いでいる」(同)といわれる。製造業のうちでも、食料品工業は原始的製造業といえるのである。昭和二十八年時において茨城県調査課が調査した市町村別の製造品出荷額の多い業種をみれば、潮来町、津知村で日本第V-75図酒製造、延方村で醤油製造、大生原村では水産保存食品が第一位となっている(『茨城県工場名鑑一九五四年版』)。当時の製造業は、局地的販路のための零細工業にとどまっていたといえる。第三次産業の中心は商業である。昭和三十一年七月一日現在の商業統計調査では、町内の商店数三九て従業者数七六O、そのうち常雇従業者は一二四であるから、ほとんどの商屈は家族従業者によって営なまれたとみられる。商屈のうち卸売業は五五で一四パーセントにとどまり、ほとんどを小売業が占める。その小売業のうちでも四Oパーセントは「飲食料品小売業」(一三八庖)であり、うち「菓子及びパン小売業」(六九庖)が主流である。ちなみに、飲食屈は二ハ屈にとどまっている。小