ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
売業のうちで目立つのは、「金物、荒物及び農耕用品小売業」(四七庖)である。「本町の性格からその七割を占める農家を対象とした商屈が多く従ってその日常生活必需品を供給するに止ま」(同)るというとおり、商業もまた、限定された地域を対象に小規模に営まれていたのである。昭和三十五年になると、農業の比率は一Oパーセントも低下する。の分だけ商業をはじめとする第三次産業の地位は高まる。しかし農村部の色彩の濃い潮来町では、まだ滞留した労働力を多く抱えていたのである。その打開のために、町では工場誘致につとめ、昭和三十三年にやっとその第一号が決定する。新聞は以下のように報じている。行方郡潮来町では同地方の二、三男対策として工場誘致委員会を設け東京、千葉方面へ工場誘致運動を行っているが、}のほど東京都大田区ナイルス自動車部品KKの同町進出が決定、同会社では潮来町須賀地内の民有地六千六百二十平方メートル(二千坪)の敷地買収も終り去る六日から測量を開始した。同会社は自動車のスイッチ、方向指示器等を作る会社だが、同所は今年度内に千三百二十四平方メートル(四百坪)の工場を建設、続いて三十四年度内に六百六十二平方メートル(二百坪)を建設する予定で十二月には操業を開始、来春の卒業期までに百七十名の男女工員を採用することになっている(「いはらき」新聞昭和三十三年十一月八潮来町の誕生日)。畑地も少なく、「山林も文同様で自給燃料を満す程度」(前掲「町勢要覧」)の潮来町において、敷地六千平方メートルもの工場が出現することになったのである。従業員一七O人が地元から雇用されれば、町の就業第4章構造は、相当程度影響されるであろう。昭和三十年の国勢調査によれば、製造業従事者は、男女合計三四七人であった。農業従事者が激減し、町の就業構造が大きく変化するのは、一O年が経過し、昭和四十五年からである。そ}れから747