ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
遺跡である。調査によると、貝層はよく保存されており、傾斜する関東ローム層に沿って北から捨てていったことを示す、斜面に沿った堆積が確認されている。貝層ができていった過程を、新しい時期からみていくと、まず表土があり、それを剥くと、ハマグリ、マガキを主体とする貝だけの層がみられ、そのしたにも、同じような層がレンズ状に重なってみられる。その旧則こふみfliマテガイだけからなる層ゃ、土層などが挟まってみられる。貝層全体の厚さは、八Oから一二0センチメートルの厚さになっている。出土した遺物は、生活に使われた土器としては、縄文時代早期の野島式土器、鵜ヶ島台式土器、茅山下層式土器である。生活に使われた道具では、クルミなどを割るなどに使ったと考えられる凹み石、機器などの石製品。また、骨で作ったへラなどである。食料となったもので、残骸が残されたものは、貝類はオオヘピガイ、ウミニナ、ツメタガイ、イポニシ、レイシ、アカニシ、カリガネイガイ、サルポウ、イタボガキハイガイ、イガイ、マガキ、ハマグリ、オキシ狩りとすなどりcm第1章JY、、、、アゲマキ、カガミガイ、アサリ、バカガイ、シオフキ、マテガイ、オオノガイですガキ、ハマグリが最も多くみられる。魚類としては、ェィ。晴乳類では、スズキ、クロダイ、マダイ、イノ、〉〆〉〆、シヵ、イルカなどである。狭間貝塚から出土した食料は、ほとんどが海に生息するもので、佐々木忠二郎が霞ヶ浦は海であったことを示したことが裏付けられたことになる。七OOO年から八OOO年前のゴミ捨て場が、現代において自然環境と共に、生活の一端をみせてくれる貝塚は、古代のタイムカプセルと言われているように、通常の遺跡にはみられない、当時の食生活などを復元するためには欠かせない遺跡である。縄文時代の経済基盤が狩猟、漁携、採取にあることはすでに述べたが、実際になにを食ぺていたかについては、推測しかできない。それをある程度復元してくれるのが、貝塚から出土する動物、植物、魚類、員、捕獲動物などであり、加えて、泥炭層の遺跡から出土する木製品や各種植物などの情報から、当時の生活環境や、およその食生活を復元できる。生活に使われた道具貝塚や泥炭層遺跡から出土する遺物は、約一万年続いくらしの復元た縄文時代のくらしを調ぺる上で、貴重な資料を提供してくれる。自然とともに生きた縄文人は、四季折々の自然の恵を、上手に生活に取入れていたようである。一年間の周期は、人のくらしに定着し、安定第1 -10図した食料確保と、精神文化の高揚がみられるようになる。いま我われは、縄文時代の生活のようすを、出土したさまざまな遺物から縄文人のカレンダーをつくってみた。」のカレンダーは、潮来町域のように、海に近い集落を中心として考えられたもので、模式図的な四65