ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代前項でみた条例の成立後、行方郡内でも、町村合併促現合併への模索進協議会が二、三度地方事務所で聞かれるが、出席す近るのは、各管公庁代表のみで、どの村とどの町が合併するかという高度な政治的判断を求められる協議はなされたとはみられない。むしろ、昭和二十八年十二月に示された町村合併試案によって、V町村合併は動き出したとみたほうが合理的であろう。右の合併試案は、「第二田町村合併促進会で決定した基本要綱に基いて各地方事務所が原案を作成、これを県地方課でとりまとめて県庁各部に示し、各郡が総合開発、産業、交通、教育等各面からそれぞれ検討を加えて意見を提出、}れらの意見を参酌して原案に修正を加え作成されたもので」(「いはらき」新聞昭和二十八年十二月二十六日)あるといわれる。試案では、県内の四市を除く三六一か町村が昭和二十九年度から三十一年度までに一O一か町村になるはずであった。これを郡別でみれば、東茨城郡は現在の三二町村が九町村に、西茨城郡は一四町村から五町村に、那珂郡は二二町村から一O町村に、久慈郡は三四町村から九町村に、多賀郡は一五町村から五町村に、鹿島郡は二二町村から七町村に、わが仔リ方郡は二O町村から六町村に、稲敷郡は三田町村から一O町村に、新治郡は二九町村から五町村に、真壁郡は三O町村から一O町村に、結城郡は二七町村から五町村に、猿島郡は二三町村から五町村にそれぞれ減少することになる。しかし審議会で直ちに承認というわけにはいかなかった。委員の意見の主なものは一、組合立中学校を設立している町村やこの計画とは別個に自主的に協議会をつくって合併の話合いをすすめている町村に対してはその自主性を尊重されたい一、境界、交通、産業関係などを充分に顧慮した計画をつくってもらいたい(同前)というもので、762れず、各委員が試案を持帰り、町村長会、議長会、地方公共団体等の意まことに当然な意見であった。結局この席で成案は得ら見を徴し、来春一月七日までに意見を県につなぐことになったのである。き」新聞この試案によれば、行方郡はつぎの六地区に分けられている(「いはら玉造町昭和二十八年十二月二十八日)。四一O四立花村現原村手賀村計E津澄村要武田村計E玉川村行方村小高村W大生原村太田村大和村十l-z-ロV麻生町香澄村三七二四-'-ー・/\二五五六一三OO五四四四八村二九五九四九四O三O四五三O六二八七八九九八六二七O七二四O七五六四八一O七六六OO五四一六八