ブックタイトル潮来町史
- ページ
- 782/1018
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている782ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている782ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
潮来町史
代ア今後数年間、急激に増加する生産年齢人口に就業の機会を与え現る必要がある。イ工業の拡大を中核として、産業構造を高度化する必要がある。近ウ産業問、地域間における所得格差を解消する必要がある。VニL産業基盤を急速に整備するため、行政投資の増大及び重点投資を行なう必要がある。右の課題は、全国に共通するのであるが、とくに茨城県においては、「首都近郊に位置しながら、従来産業構造の後進性を脱却できず、生産年齢人口の流出が続き、低い所得水準に」とどまっていたという。したがって「工業の拡大を軸として、上記諸問題の解決をはかること」が緊急の施策であるとしている。戦後二ハ年にしてはじめて、全国の水準を下回る県の経済力の活力化をすすめる施策として、工業開発が登場したのである。その見通しはきわめて楽観的であった。首都近郊という地の利を得ているうえに、「本県は、広大な土地、豊富な水等、多くの資源を有し:::加えて道路、鉄道、港湾等、生産の基盤が急速に整備されつつある」ためである。だカ〉ら県の経済を飛躍的に発展させるには、「中心的役割をはたす工業を大幅に導入することが肝要である」としている。ただ、低位生産性にとどまっていた農業を容易に切捨てることはせず、「農林業地域の将来の発展を十分に考慮し、都市と農村の配置を合理的にして、その調和ある発展が確保できるよう」努めることが加えられていた。工業立地は、「首都圏整備法による衛星都市の建設、その他工業配置に関する国の諸施策と相まって推進する」とされた。そのうち未聞の鹿島地域の工業立地はつぎのように方向づけられるはずであった。本県の特殊な未開発地帯としてとりのこされてきた鹿島灘沿岸地域は、その広大な土地資源と霞ヶ浦の水資源を結びつけ、将来四O77000ヘクタール'の工業地区の開発を目標とする大工業地帯を造成し、電力、鉄鋼、石油等、重化学工業の基地として発展させる。ち計画期間中に約二OOOヘクタールを目標に、企業の適地誘導をこの〉フ推進し、地域振興の基礎を確立する。」れがため、開発の中核となる鹿島港の建設、道路網の整備、鹿島縦貫鉄道の建設等、本地域開発の最大の険路となっている交通運輸施設の整備に最重点を指向し、産業基盤の造成につとめる。「茨城県総合振興計画(大綱)」の半年後に書かれ巨大開発への歩みた「鹿島灘沿岸地域総合計画書」は、先行したわが国の大工業地帯の造成が、「既に用地、用水等に、急激に険路が生じ、工業生産、社会生活の各方面にわたって、L、わゆる過度集中の弊害」をもたらしたと批判し、「将来の飛躍的発展を期待しえない」と予測した。そして、鹿島郡南部の二町三村の工業開発の優位性と経済効果をつぎのようにうたっていた。広大な土地と豊かな水を大規模かつ容易に提供しうるこの地帯の立地性をいかし、ご}に港湾の建設を中核とした一大臨海工業地帯を造成し、もって地域開発の拠点として、国民経済の進展に寄与するとともに、後進県茨城の一大飛躍をはかろうとするものである。未開発地帯としてとり残された鹿島灘沿岸地域の広大な土地資源と霞ヶ浦の水資源を連結させ、さらに港湾建設を中核にした一大臨海工業地帯を造成し、国民経済の進展に寄与するという壮大な計画である。この計画が生まれる以前、昭和三十四年四月に初当選した岩上二郎知事は、当選後間もなく鹿島灘沿岸地域の開発構想を示した。太平洋と北浦を運河で連結し、周辺地域の工業開発を図るというものである。さら