ブックタイトル潮来町史
- ページ
- 786/1018
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている786ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている786ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
潮来町史
代管理事務所などの付属施設が建設される予定であった。建設は昭和四十現四年にはじまり(同五五号)、翌年三月五日現在で一七八世帯が入居し最終的な入居世帯は二五八世帯になるとされた(同五九号〉。のどかだ近った農村に、突如として、近代的住宅団地が現れることになったのであVる。住宅団地の建設と並行して、進出企業は従業員の募集をはじめる。「広報いたvこ第五一号(昭和四十四年四月一日)はつぎのように広告して、}、,。、いv・4K1高松団地では、住友金属工業(株)がまもなく操業に入り、東部団地では、東京電力(株)、鹿島石油(株)などの工場建設が行なわれています。}れらに付随して関連企業も含め、進出企業等では従業員の募集をしています。募集している事業所は、大阪富士工業(株)ほか十二社で、本年末までに男八百九十三人、女百四十五人の雇用計画があります。職種の内容は、一般単純作業員、熔接作業員、女子事務員、技術要員、運転員、梱包作業員、寮務員、賄婦、倉庫係、守衛、消防、雑役、管理人、オペレーター、仕上工などであります。住宅団地といい、従業員といい、交通網の整備によってはじめて、臨海工業地帯への通勤が可能になるはずである。昭和五十六年に新潮来町誕生二五周年を記念して刊行された町政要覧は、「鹿島から熱風が吹いてきた」として、臨海工業地帯の開発による二五年間の町の変化をつぎの七つの柱に要約している。昭和四十二年十月一目、住友金属の住宅団地、延方字大山に決まる。昭和四十五年八月十日、田んぼのまん中に潮来駅広場が出現。昭和四十五年八月二十日、潮来に鉄道を通すという半世紀の夢が実現774昭和四十九年四月二十六日、待望水郷有料道路が開通。町はよろこびにわきかえった。昭和四十九年八月五日、潮来出島地区県営ほ場整備が完工。記念碑を建立。昭和五十二年八月一目、公共下水道がスタート。都市なみになったと大喜び。昭和五十四年三月三十一日、日の出ニュ1タウンの土地区画整理事業が完了しました。みられるとおり、臨海工業地帯の後背地として、住宅団地の造成と道路の整備が二五年間の成果であった。町域の宅地面積は、昭和四十二年に一六五ヘクタールであったが、五十五年には三三五ヘクタールと急増し、平成三年には四六二ヘクタールにおよんでいる。宅地面積の増加にともなって、人口も増加している。これを国勢調査結果によってみれば、昭和三十五年に一万七六七一人の人口総数は、四十年に一万七一一一人と一たんは減少するものの、四十五年には一万八四三六人と増加に転じ、五十年二万六七O人と大幅増、五十五年二万二八三人、六十年二万三六O四人、平成二年二万四四一人と、住宅団地造成後は一貫して増加しているのである。