ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代運行されることになった。また玉造・潮来線でも、高度経済成長期に利78現用者が増加したことに対応し、一日一一回から一八回に増便している。戦後も、舟運によって潮来の復興を図る動きが見られた。近舟運の衰退昭和二十七年(一九五二)十一月には、水雲橋付近に大型発動機船の停泊可能な港(荷揚げ場)と、ドックを建設すVる建設計画が持ち上がり}れが県の二十八年度港湾施設計画に組み込まれ、翌年には潮来港建設工事が着工の運びとなった。}れは観光客輸送に加えて、物資輸送をも舟運によるという、水郷潮来再生の悲願が込められたものであった。しかし戦時中からの悲願であった、舟運による潮来の復興は果たせず、わずかに残った水郷汽船も、昭和五十年には土浦・潮来間の季節航路を廃止している。