ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代(同)と指摘されている。現また、臨海工業地帯の造成による「常陸川逆水門の開閉の関係で、最近水位が低下してきた」「前川にゴミが投げ捨てられである」(「広報いた近三第五三号)のが見られるという。「万一この密集した市街地の中で火V災が発生したならば、消火栓のみでは限りがあります。}の前川の川水を、利用して消火態勢をとらなければなりません。もし、吸水管にゴミ等をすいこみますと、消火活動に重大な支障を及ぼし、大火災に発展してしまう」(同)と注意を促している。昭和二十二年四月二十二日に、潮来町の中心部一O五戸を焼きつくした、かつての記憶がよみがえったのであろう。経済の高度成長にともない、開発を阻止するための手だてのないままに、自然景観の保護のための自然公園法が、ささやかな防波堤の役割を担ったことは否定できない。国鉄鹿島線が開通し、鹿島臨海工業地帯の工場が操業を開始し、開発の波が町にも及びはじめた昭和四十八年に、「広報いたvこ第八一号は固定公園地域の「建物の新築や増改築、広告物の表示、土地の造成等に県知事の許可を必要とする地域が」あるので、注意を呼びかけていた。広報によれば、自然公園法にいう特別地域は、「町営あやめ園駐車場から富士屋ホテル前を東へ潮来駅に向っている道路を堺に常陸利根川に沿った地域全域と、前川敷」は第三種特別地域にあたり、さらに稲荷山が第二種特別地域、「延方神宮橋手前にも」特別地域が該当するという。この地域内では、工作物の新築、増改築をはじめとし、宅地外の木竹の伐採、広告物の表示掲出、屋根、壁面、へい等の色彩を変えること、土地の形状を変えることに対し、知事の許可が必要とされた。}れに加えて、茨城県では「整地の盛土等の量は最小限にとどめ建物敷部分のみに限定する」「建物の敷地面積に対する割合は三O%以下とする」「建物の794外部の色彩や広告物の色彩は原色はさけ、周囲の自然と調和するものとする」「樹木は可能な限り残存させ積極的に植栽もする」「屋外広告物は表示面積五平方メートル以下とし、ネオンサインは設けないこと」などの制限が加えられていた。}のような制限をもってしでも、前川のゴミにみられるように、環境の保全は困難であったものとみられる。|日町の観光産業水郷固定公園が指定された年の六月、指定記念の行事を盛りこんだために、一六日間で三五アヤメ祭りは、万人の観光客でにぎわった。祭りをはさんだ三か月間に前年比三割増の一OO万人、町の期待どおりの成果をみせたという。はるか後年、昭和六十年に刊行された合併三O周年記念町勢要覧「水と緑の町潮来」には、当時を振り返って「あまりの盛況ぶりに、町の観光産業の対応が間に合わず、一部では批判の声も出て、設備やサービスが望まれる事に」なったと書かれている。町の観光産業にとっては、肥大化する観光客の対応に苦慮することはあっても、経済の高成長は充分に追い風となっていたとみられる。昭和四十三年六月作成の「潮来町振興計画書」は、「商業は農業就業者人口の約半数の二二OO人が従事しているが、いずれもその規模は零細で、わずかに観光旅館が在る程度で観光地としてのレジャー施設の配置にとぼしい」とし、現況は「大型化時間距離短縮に伴なうレジャー行動半径の拡大化による流動化・大衆化した観光客の魅力をとぼしいものにしている」という。「本町の観光行政は非常に重要なウェイトをもち」というものの、継続的な観光宣伝の強化をうたうにとどまり、観光施設については、民間部門の投資に期待している。しかし、昭和五十三年六月に誕生した町営の「前川十二橋めぐり」は、