ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

原始・古代のではないだろうか。ら、大型住居と同じように、公共的な集会ゃ、祭儀などに使われていた名である。縄文時代に入ると狩猟採集経済が主体となり、中期では約一70E偶像化された信仰人聞が、自然界の中で社会を形成していったとき、メートルの大きな石棒(男根崇拝H子孫繁栄の象徴)がみられる。また、}れなどは、勝坂式土器に、蛇を土器の口縁に装飾しているものがあり、たことは、未開種族の研究からもわかっている。深鉢形土器に入れた物を蛇に守らせることを目的としていたのではない集団の中で、原始的な自然崇拝が中心となっていであり、ユーラシア大陸の旧石器時代のヴィーナス像かと思われ、毒のある蛇に対する畏敬が具象化されたものであろう。古代の偶像で有名なのは、一般的には人や動物の繁殖に関係のある呪物・護符と考えられ後・晩期になると中期の大型石棒は約五0センチメートルの小型の装飾された石棒ゃ、装飾された石剣に変化している。このことは、本来、子孫繁栄のための偶像であった物が、儀礼的なものや祭などに使用する道ウクライナからシベリア地方のヴィーナスは、炉を伴う住居ているが、具に変化したものと思われる。跡から出土していることから、祖先、祖母神像か、家族の守護神、炉の守護神等としている。立している。旧石器時代の偶像は、狩猟社会において、人と動物との関係の中で成た女性を現しており、偶像として最も有名なのが土偶である。}の土偶はほとんどが妊娠しこれまでに確認されているのは大分県岩戸遺跡の石偶が有4~~ユーラシア大陸のヴィーナス像に重なる。土偶が最初に現れるのは縄文時代早期であり、北相馬郡花輪台貝塚からは薄い3l椎塚員塚(茨城県) 2雨滝遺跡(岩手県) 3小和瀬遺跡(福島県) 4美沢1遺跡5曽利遺跡、6大湯遺跡粘土板で作られ、顔の表現はなく、性は乳房の突起によって女性と確認できるものである。早期末の例は常北町二本松遺跡で見られる。前期は見られないが、中土偶と石棒期末ころには、棒状の土偶が見られるだけである。後期から晩期にかけては、土偶が盛ん第1 -13図に作られるようになる。堀ノ内式土器に伴うものは、全体が曲線で表現されるハート形土偶がみられ、加曾利B式土器に伴うものには、頭部を山形にして、顔を隆帯で構成した山形土偶、安行I-H式土器に伴うものには、結髪の表現、円盤