ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近Vずρ「面倒和四十六年に潮来・牛堀二町ゴミ処理組合(昭和五十九年に潮来・牛堀816二町環境衛生組合と改称)を作って以来、共同してゴミ処理にあたり、平成元年十月には牛堀町島須地区においてゴミ焼却場の起工式を行っていた。粁余曲折はあったが、}のような二町の協力体制を基礎にして、潮来・牛堀二町環境衛生組合の手でし尿処理場を建設することになったのである。地元関係者の協力が得られたために、建設工事は順調に進み、平成四年三月には長く待ち望まれていた施設が完成した。し尿処理場は潮来町大生原地区に建設され、施設には潮来牛堀衛生セ潮来牛堀クリーンセンターンタ!と命名された。し尿の処理方式は技術的に最も進んだものといわれる高負荷脱窒素方式を採用した。}こで処理した汚水については、砂ろ過や活性炭吸着などによる三次処理システムによってさらに浄化し、国や県の水質基準を達成させてから北浦へ放流することになった。ご}では住民生活の基本にかかわる問題としてゴミ処理場の建設ゴミ処理の問題についてみておきたい。ゴの処第V-93図理については、最初は町単独事業として行われていたが、昭和四十六年に潮来町と牛堀町による二町ゴミ処理組合が結成され、昭和四十九年からは大洲、小泉地区を中心とする前川処分場を使用してゴミを埋立処分する方式を採ってきた。昭和五十六年からは牛堀町のゴミも前川処分場へ搬入されるようになり、大量消費の時代風潮ともあいまって、ゴミの量は加速度的に増加していった。昭和四十九年には約一Oヘクタールあった前川処分場の敷地が、昭和六0年代を迎える頃には、ほんのわずかしか空き地がなくなってしまった。平成元年までに前川処分場へ埋めたてられたゴミの総量は一五万トンともいわれ、年聞に町から出されるゴミの量は九000トン、町民一人あたり三六Oキログラムにのぼった(「広報いたこ」第二O二号)。