ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第一章年中行事第一節正月を迎えて人びとの生活の営みには、毎年同じ期日に、同じ仕方年中行事とはで、ほとんどかわらずに繰りかえし行われる「行事」がある。人びとはこれを一年の節目として重視し、常の生活「ケ」に対して「ハレ」の日としている。こうした年中行事は、家をはじめ集落、村、固といった単位でも行われている。またその内容は、神仏などの信仰的な行事、祭礼もあり、農耕儀礼も含まれている。さらに日本の年中行事は、暦日(旧・新)を中心もちづきとしたり、十五日の望月を中心とするもの、自然暦を含むものもある。したがって、その実際はかなり複雑な様相を呈するのである。この章では、潮来地方の一年間をとおしてのさまざまな行事をとりあ事げるが、主な信仰や祭礼の行事は第三章の民間信仰、第四章の祭礼と芸能に述べることとする。また農耕儀礼についても、とくに稲作儀礼や畑作儀礼を分けて記述することはせず、季節にしたがって四節を設けるこf丁中とにした。年冗日、潮来では、家の主人が朝起きるとすぐ旧年買っ第l章若水と宮参りお正たバケツにヒシャク(柄杓)で井戸から水を汲み、月様(天照大神・皇大神宮の掛軸)、仏壇に若水を供え、門松にかける。朝風呂に入って身を浄めてから若水を汲み、神様へ供え門松へかけるところもある。また津知では、「若水迎え」といって、元日一明けやらぬうちに家の主人または男性が餅などを井戸神に供え、「福徳、福徳、福徳、福徳、宝のお水をお迎え申す」と唱えごとを繰返しながら井戸から扱む。途中人に会っても口をきかず、また家によっては、日めでたい唱えごとをしたという。この水で供物や雑煮を炊き、茶をたてて飲む習慣だったが、水道の普及にともなってこの行事は廃れつつある(石井芳子「潮来町の民間信仰」『水郷の民俗』創刊号)。延方では、井戸と水桶へ〆縄をかけ、朝主人がはじめて若水を汲む。若水は天照大神の掛軸のある床の間へコップでその水をあげ、残った水はヒシャクで門松へ全部かける。昭和三十五年頃まで行われた。大生原の例によると、若水は元日より七日まで汲んだ。一番早く起きた者が汲んでおき、主人がこれを門松、母屋、氏神、井戸等に結んだ門松に順にかけて廻る。また「若水取り」は三日間、門松に供え、残り水で茶をわかし、雑煮の汁をつくる(浜野元市「水原の年中行事」『水郷の民俗』創刊号)。若水の行事は廃れつつあるが、一般にこの水は神聖視されており、年棚等に供えられた若水の残りは、全部門松にかけられるか、またこれで茶を飲んだり、雑煮の汁に用いたりしている。本来、「生命の水」「若返りの水」としての意味があったようである(大林太良『正月の来た道』、佐821