ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗VI民いかわりに、昆布・若布を入れる。口三が日は、朝雑煮で、里芋、大根、人参等で汁をつくり餅を入れる。菜類は七草までは食さない。ご飯は、三が日のみ麦を入れないで食ぺた。延方付一日から三日まで餅を焼き、醤油をつけて食ぺる。四日から雑煮にして七日まで食ぺる。口三が日は青物を使わない。雑煮は大根だけ。回雑煮は、大根、ねぎ、人参・里芋・せり・みつ葉などたくさん入れ、見布を入れる。見布は、「よろこぶ」ということからかならず入れfこ大生原冗日は餅を食べず、白米でノッぺ汁。雑煮は若水の残り水を用L、だし汁はかつお節と昆布でとる。正月には、集落の家いえを訪れて、}とほぐ人びとがあことほぎの来訪者った。昔は、「ソウドメ」(早乙女)といってザルカゴを背負って顔をかくし、正月に餅をもらいにきた。男の人は鍬をかっ824ぎ「一鍬さつくりこ、二鍬目の鍬先で、金銀茶釜掘り出した。めでたいなあ、めでたいなあ」といって餅をもらって行く。イチクワ〔大賀〕ソウドメは、顔がわかるので遠くの集落へ行ってやるそうで、帰りは寵に餅がいっぱいになり、重そうに背負って帰って行った。昭和三十年頃まではきていた(延方上ノ須賀宮本富美調査)。また延方では、正月七日(松の内)までに、顔を手拭第VI-3図いでほほかぶりし、簡を背負い、木でつくった小さな鍬をもった人が、「ひと鍬さつくりふた鍬さつくりこ、み鍬目の鍬先で、金銀茶釜掘り出した。めでたし、めでたし」と唄ぃ、各家を祝い歩き、餅をもらって帰った。大生原では、正月七日位の聞にソウドメといって、顔を代子調査)。覆い、龍を背負った四、五人が家ごとに訪れ、餅をもらいにきた(原喜回って来る。彼女達は十センチ程度の木の鍬を振って『おめでとうござ(笠)次の報告もある。「早乙女が船頭傘を被り、昨爪寵を背負って家いえをいます』と祝言を述ぺる。家人はそれに答えて、『御苦労様です』と餅を渡す。彼女達は数名で連れ立って来るが、その多くは五月の田植えの時に手伝いにくる人達であるという」(『国鉄鹿島線沿線の民俗』)。うちわダイヤフク(大家福)といって団扇太鼓を叩きながら家々を訪れ、潮来地方では、めでたい歌を唄った。金銭、物をもらって去る。やおよろずのかみ家の所望によって、八百万神について何でも唄ったものである。次の歌詞は、高塚丑之助『潮来と鹿島香取』に載る事例であるが、津知の江寺、大生原の水原でも採集されている。さんやあらおめでたいな、第一番にはお門松、こには二本の庭の松、三