ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

(潮来)。七草粥といって七色の草を入れて粥をつくり、神様、仏様にお供えする。門松、〆縄、鏡餅をはずす。婿が年始廻りをするところもある。七草粥は、ご飯の中に餅、菜を入れ、炊き込んで食す。粥にはしなま抱いたい(延方)。七種の野菜を姐板にのせ、「(七草なずな)唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にストトントン」と唱えながら菜を刻み、ご飯が炊きあがる少し前に、角餅をのせ、のはじめに、その上に刻んだ葉をのせて炊き上げる。年あらかじめ作物の害鳥を追っておこうという呪の意味だということである。なおこの日に正月の門松・〆飾りを取りはずす家がほとんどで、このため元日からこの七日までを「松の内」という(潮来・津知)。付七草粥を炊いて、餅を入れて食ぺる。なお}の日から青菜が食べられる。口七日の朝、七草粥といってご飯に野菜を入れて炊いて食べた。終戦後は行われていないようである。門松・〆縄の処理は以前は十五日で、その際門松の跡へモチパシの木で箸をつくり、その箸へご飯へ餅を入れて炊いたのを付け、門松の芯と一緒に立てた。終戦後は、七日に処理し、門松の芯だけを立てるようになった(大生原)。一日を中心とする「大正月」、望月の十五日を中心とす小正月前後る「小正月」という言葉はあまり使われていない。十一日は「鏡開き」「蔵開き」といい、小豆のお汁粉を食べる(潮来)。「鏡開き」といい、大根をよくゆでて小豆をかけて食ぺる。事のどがかれたときによく効くといわれている。一般的には汁粉を食べる。f丁「お供えくずし」ともいっている(延方)。十一日は「蔵開き」という中(大生原)。正月中、神仏や床の間に供えであった鏡餅、農具や漁具など年に供えた餅も下げて、雑煮か汁粉にして食ぺる。この日を「鏡開き」と第1章いう。餅は刃物で切ることを思み、槌を用い手で欠くのが仕来りで、縁起をかついで、}のことを「欠く」とか「切る」とかいわずに「聞く」というそうである。}の日の餅の一部を干餅にしておき、六月一日の「歯ガタメ」のときに食ぺる家もある(津知)。十五日とその前後にいくつかの行事が集中する。十四日には、餅をつきナリキモチ・ナラセモチをつくる。ハ門木は十三この日の朝、一年の豊作と金が溜るように祈願する。かさねカッパ様に餅を供えるため、小さな餅一重を川へあげる。日にとってくる。ユヌキ(榎)で、夏に子供らが水遊びをするので、水難除けに供えるのだという。またこかんもちの日につく餅を「寒餅」といっている。口ナラセモチはユヌキを使う。この木に丸い餅をつけ、土間の大黒住、荒神様、神棚、農舟等に結わえ、二十日まで飾っておいた。農家では、木に餅をつけることを「ナラセル」といって、「ナラセれば、ナラセるほど豊作だ」といっていた(潮来)。ナリキモチは、家によって使う木はケヤキエノキ、ナフヤナギヌルデ等、その木の枝に小餅をつけ、花が咲いたようにして家の大黒住に結わえて飾る。養蚕をする家では、餅を繭玉形の餅花にし、作物や養蚕が豊かであるようにと願った(津知)。付ナリモチといい、木の枝を折って廊下の住にしばりつけ、赤と白の餅を小さく丸めて木につける。口十四日は、新年はじめての餅っきとなり、「寒餅」という。ナラセモチといって、餅を小さく丸め、木の枝にたくさんつけ、柱に立てる。日ユノキの枝に団子をならせ、柳箸といって柳の木をササラのようにして、ともに床の間におき、成り物がよく成るように、「成り申せ、成り申せ」と唱える。またはこれを実のなる木にしばりつけ「成り申せ」を三回唱える。柳の木をササラのようにして、}れに餅をつけて「成り申せ」を唱える家もある。右は、ナラセモチ、成り木責め、粟穂稗穂が混在しているが、津知の827