ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

俗民第二節春から夏へVI二十日正月のすぎた一月下旬から二月にかけては、村祈祷・鹿島オカケ・人形送り社寺嗣堂やそれぞれの信仰における神事、行事が活発になる。たとえば初午、初不動、初三夜等々の行事は、次の第三節民間信仰に主としてふれることとする。}の頃の村祈祷、鹿島オカケ、人形送りの行事は、いずれも「村祈祷」として括れるもので、正月の諸行事がほとんど家を中心に行われたものに対し、「村祈祷」はその名のとおり、その家の属する集落を中心に行われるものである。延方では、ムラキド(村祈祷)、月十オカケまたは鹿島オカケが、一一日と二月一日の両日の名称となっている。内容は、付祭事当番受渡し、口村内祈祷、臼集落の役員改選である。宮前においては土手町と押立町が一交替で当番となる。その年の当番町では町内一同が集まり肴を準備する。下当番である町内は酒一升を持参し、飲みながら鹿島神社のお札を祭る。}のあと臓を当番町から下当番へ渡す。峨には、「寿鹿島大神宮文化三丙寅」とあり、寛保年間(一七四一i四一二)から続いている-、' 023;-〈L:一一月一日は、町内全員が集まり、年間の行事取決め、役員改選を行い、老人または男子は大きな数珠をもち、「のlまくさんまんだばさらだせんだんまあからさんだんそわか」と唱えながら町内各戸を一巡し、家内安全と悪病除けを祈る。女子は町内ごとに膳椀倉の器具点検と清掃をする。古高の集落は二月一日の「春祈祷」が国上神社を中心に行われる。F}830を青年達がもって、各所を廻り、の日神社に保管されている雄獅子、雌獅子、中獅子のうち一つの獅子頭その獅子頭と榊・幣でお被いをする、廻る順序は定っており、一年ごとに東廻りと西廻りを交替する。昔はこに三頭獅子舞が伝承されていたようである。昭和二十五年から三十年-E、‘,ot--〈、u w e4頃までは獅子頭、太鼓、衣装を入れた「お箱」をかついだこともあった大生原(水原)の境に}の人形が立てられる。一方、神社の境内で藁人形一O体位がつくられ、夕刻青年達によって}こはかつての旧道沿いすぐ近くにドウロク神、馬頭観音が杷られている。人形をのところで、立てるのはこの一か所のみである。大生原の水原集落の「村祈祷」は一月二十八日。集落内各組ごとに念仏講の老人達が集まり、各戸を数珠をくりながら念仏祷〔古高〕(不動経)を唱え、家内安全、無病息祈災を祈願して廻る。春また出口組、根崎第VI-8図組ではカグラ(獅子頭)をもち、太鼓をたたきながら各戸を廻り、家内安全を祈願する行事を行っている。