ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
「オカケ祭」は組ごとに二月十七日、稲荷様を杷り、当番家が神宮を頼み、祭事を行う。現在は集会所で行うようになった(浜野元市「水原の年節分・二月八日とその前後中行事」『水郷の民俗』創刊号)。一般には「オカケ」「オカケ講」といい、八月二日である。}の日をエエシ日といい、エエシとは灸のこと。以前二日間はご馳走をつくるので、「ナベカケズ」とも称している。なお、「次郎のツイタチ」といい、餅をついて神仏に供えて祝う行事年があけてはじめて灸をすえる日を二月二日の行事とするところが多く、「二日灸」とよばれている。儀礼的な行事として灸をすえる日は年に二度、二月二日とがあったが、今はない(大生原水原)。ほかの地区では行われていなかっはかならず子供にすえたという。灸をすえるときに、「悪病災難にあわぬように」と唱えごとをしたものだといわれている(津知)。た。節分は立春で、旧暦では正月元日から七日、新暦では二月三、四日にあたる。「年越し」「年とり」といい、うである。事年O?f丁7月10日その他中第l章豆まきを行う。その方法は次のよ荒神様から母屋を先に三か所。久保家では「福は内」を三回、「鬼は外」を三回、最後に門へ行って「福は内」を一回叫ぴ豆をまく。塚本家では、雨戸を聞けて「福は内」二回、「鬼は外」を二回。豆がらにイワシの頭をつ人形っくりの日けヒイラギと一緒に、門口、神棚、仏壇等にあげ、年男(父または子)が一升桝に豆を入れて部屋、戸外とまき、それから天王様にお参りをした。またヒイラギとイワシの頭を門にさし鬼払いの厄除けとした。豆を神棚、氏神第VI-9図様、鎮守様へあげ、夜豆まきをしたあと家族中で福茶を飲む(潮来)。年男が「福は内、鬼は外」と唱えて、妙り豆をまきあとで自分の年齢の数だけ豆を食ぺる。この日ヤイカガシといって、戸口にイワシの頭やヒイラギをさす。ヤイカガシとは「焼いた臭気をかがす」ことによって邪気を避け、災厄を被う呪法といわれている(津知)。鎮守様へお参りをし、帰ってきてから「福は内、鬼は831