ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗民VI昭和30年頃の人形送り〔延方〕第VI-10図外」といって豆をまく。なます}の日捨と「ノッペイ汁」をつくって食べる。その名称もない。員が集まり、年齢の少ない者から自分の832年だけ福豆を食ぺる。豆を入れた福茶を飲んで家内安全を祈願する。このイワシの頭を焼いたものとヒイラギを戸袋にさ平成6年の人形送り〔古高〕し、鬼を退散させる(大生原)。二月八日は「針供養」で、社寺や裁縫所などで古針の供養をする。昭和二十年代まではこの風習が残っていた(津知)。裁縫所では、柳針を豆腐にさして立て供養する。この日山仕事をすると怪我をす第VI-1図るといって、山へは入らない。昔は針子達が針供養のため、麻生町新宮の淡島様へ参拝に行ったが、今は行われない。またこの日は恵比寿様が稼ぎに出かける日といい、餅を供えお頭つきの魚とご馳走をつくる(大生原)。なお、潮来地方では、二月八日に目龍を立てる行事は行われず、ヒイラギの枝とイワシの頭を大門、裏門、勝手口などにさし、鬼払の印雛節句・彼岸初節句の家では、里親から雛人形を贈られる。二月下とする。神棚から一升桝に入れた大豆をおろし豆をまく。終って福茶を旬の吉日から一一一月五、六日頃まで飾るが、早くお雛様を片付けないと嫁に出るのが遅れるといわれた。また飲む。二0センチメートル位の大豆の枯枝にイワシの頭をさし、やはり二0センチメートル位のヒイラギの枝と一緒に玄関のところにさす。大くなる」ともいわれた。三月三日をすぎたらすぐしまった方がよく、はじめての女の子の場合は、親戚や近所の人を外」と一回。豆は桝に入れ、神棚に向かって「福は内」と二回、外に向かって「鬼は招いて祝う(潮来)。「雛祭り」「桃の節句」ともいう。もとの雛祭りは紙そのあとお宮に行って豆をまく(延方)。豆まきは、母屋をはじめ、氏神様、各建物の順に行い、終ると家族全そうしないと「娘の縁が遠」の地方でも、