ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

事fT中年第1章などでつくった「流し雛」であったという(津知)。ヒイラギとイワシの頭〔大賀〕雛人形を飾り、草餅をついたり、白酒または甘酒を供えて祝いをする。子供らには晴着を着せ、氏神様や産土様へお参りをさせる(延方)。女児のいる家では、雛段へ雛人形を飾る。初節句の家では招待状を出し、親類、隣人、知人等で行われることが多くなった。家では草餅をついた(大生原)。彼岸は、春分と秋分を中日とし、その前後三日間ずつ、あわせて七日問。春彼岸と秋彼岸があり、その「彼岸入り」は、春が三月十八日頃、第VI-12図秋が九月二十日頃である。彼岸の入り、中日、終りの日はかならず墓参をする。。がんえ寺では「彼岸会」といって「施餓鬼供養」が行われる。また老人達は寺へ詣り、「彼岸念仏」を唱える。家庭ではおはぎや団子をつくり、先祖の墓参をする(延方)。「秋彼岸」の行事は、「春彼岸」と同様である。お釈迦様〔大賀文殊院〕三月には農家で水稲の種籾を水にひたす。延方では、種籾の入った籾えんま俵を「種井戸」や「江間」に「ひやす」のであるが、}のとき、六、七軒が一組となって田井戸の水を払い掃除をする、田井戸の中にフナ、カモチン、ウナギ等が入っているのを掴まえ、仕事が終るとこれを肴に酒宴をする。これをシプヌキといっており、水汲みで田渋にそまったから、「渋抜き」という意味だとされている。昭和四十年頃から種籾浸しの方法も機械化した(高野内秀雄調査)。第VI-13図なお、徳島では三月一日に老人達が人形送りを行う。潮来では一二月十五日を「若松様」といい、天神様の祭りで、信心深い人がお参りをする。四月八日は釈迦の誕生会。この目、長勝寺では稚児行列お釈迦様があり、また釈迦の誕生仏に甘茶をかけた。参詣の人は甘茶をいただき、この甘茶で墨をすり習字をすると上達833